懐かしのあの人シリーズ。ピーナッツと再会、の巻。


2011.08.11。


ピーナッツとの再会を果たすべく、渋谷へと出向いた。

事の起こりは、スミレと古墳の里へ出掛けた時の事。

そこで彼女からピーナッツの近況を聞き及ぶに至ってから、

無性に彼女と逢いたく成ってしまった。

そして、逢いたくて堪らない気持ちが募り、電話を試みるも、

いざと成ったら腰が砕ける意気地のない、オレが居た。

世間様には誤解をされている向きもあるが、

オレはシャイで人見知りをする。だから、こう言うのは苦手だ。

それでも蛮勇を奮って電話をしたら、生憎の不通。

そうだ、そうだった、

彼女は携帯電話を傍に置いておく習慣が無いのだ。

ガッカリしてションボリしていたら、

翌日彼女から待望の折り返しが来た。

小躍りして、取った受話器に飛込んできたのは彼女の明るい声。

今と成っては何を話したか、忘却の彼方であるが、

それからは不定期に手紙をもらえるように成り、

今日の逢引と成った次第だ。


オレは古いヤツだから、

いくら以前にボーヤを遣らせていたとは言え、

半年ぶりに逢うのには、緊張を要する。

それでも見栄を切り最低限の礼は尽くそうと、

床屋に寄って身だしなみを整え、

何処かの待合いに腰を掛けて彼女を待ったのだが、何故かこの時、

出逢ってから別れるまでの一年足らずの時間が鮮烈に蘇って来た。


新卒の彼女と始めて会った時の面接、入社前の巨牛荘での時間。

カラオケでオレの好きな、星影の小径を歌ってもらった事。

依頼しておいた仕事を間違えられ、はり倒した事。

九段の炉端屋に行く道すがら、号泣されて往生した事。

電話営業で見事成果をあげた時に、褒め讃えた事。

戸面原ダムの看板を相手が喜ぶほどに、一生懸命作ってくれた事。

大仕事終えた翌日に細やかな贈り物をしたら、感激してもらった事。

そして一番の思い出は、

過労で倒れられた夜と翌日見舞いに行った時の事だ。


そう、あの日は茅ヶ崎駅を降りたら雪が舞っていた。

そんな中、地図を見ながら探し当てたお宅はモダンな建物だった。

玄関の前に立ち呼吸を整え、躊躇いながら呼び鈴を押した時の、

心臓の高鳴りようと言ったら、なかった。

そして、突然の来訪に驚かれたご家族に非礼を詫び、

招き入れてもらった後、

オレに出来る精一杯の、謝罪の言葉を述べた。

然し、ご家族から返ってきた言葉は意外だった。

彼女は家庭で職場の事、仕事の話しを日常的にしていたらしく、

それは、彼女をお預かりしていた事への謝礼だった。

そんな武士の情けと言うか、寛大さと言うか暖かさに触れてしまい、

オレは、どうにも身の置き場が無くなってしまった。

居たたまれずに辞去した後、頭を冷やそうと雪の中を、

お宅からほど近い菱沼海岸に向かい、とぼとぼと歩いて行った。

その時、聴いていた音楽がコレ。


オレはあの時、

失ってはいけない、大事なスタッフを失ってしまった。

そう思うと何かドラマの主人公にでも成った気がして、泣けた。


そのピーナッツと、もう直ぐ逢える。

そう思うと逢う前から、不覚にも涙ぐんでしまった。


ピーナッツがやって来た。

満面の笑顔で、

「ご無沙汰していますっ」と挨拶をもらった時は嬉しかった。

早速、近所の鉄板焼き屋へ行き、旧交を温めた。

近況であるとか、まあ、いろいろ……だ。

そしてアッと言う間の2時間が過ぎ、一件落着。

最後、

東横線の渋谷駅で別れたのだが、

相も変わらず随分と気を遣ってもらった時間だった。

今と成っては、大した事は出来ないけど、

オレに出来る事があれば、何でも遣らせてもらいたい。

彼女とは、また逢う。


長く成ったので、もうヤメる。

そうそう、ヤメる前にだが、彼女の今の写真を載せておく。

髪型が少し変わっていたかなあ。















開業して十年が経ち、その間にいろいろなスタッフと巡り会えた。

オレも、あと2年で引退。

2年なんか僅かな時間だから、

こうしてラピス・ラズリで縁のあった連中に逢っておこうと思う。

さおりちゃんには春に逢えたし、画伯は南米だし、

となると逢っておきたいのは毎春、律儀に年賀状をくれる、彼女だ。


2011年08月14日(日)

吉右衛門。


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