2011年8月15日 のアーカイブ

懐かしのあの人シリーズ。ピーナッツと再会、の巻。


2011.08.11。


ピーナッツとの再会を果たすべく、渋谷へと出向いた。

事の起こりは、スミレと古墳の里へ出掛けた時の事。

そこで彼女からピーナッツの近況を聞き及ぶに至ってから、

無性に彼女と逢いたく成ってしまった。

そして、逢いたくて堪らない気持ちが募り、電話を試みるも、

いざと成ったら腰が砕ける意気地のない、オレが居た。

世間様には誤解をされている向きもあるが、

オレはシャイで人見知りをする。だから、こう言うのは苦手だ。

それでも蛮勇を奮って電話をしたら、生憎の不通。

そうだ、そうだった、

彼女は携帯電話を傍に置いておく習慣が無いのだ。

ガッカリしてションボリしていたら、

翌日彼女から待望の折り返しが来た。

小躍りして、取った受話器に飛込んできたのは彼女の明るい声。

今と成っては何を話したか、忘却の彼方であるが、

それからは不定期に手紙をもらえるように成り、

今日の逢引と成った次第だ。


オレは古いヤツだから、

いくら以前にボーヤを遣らせていたとは言え、

半年ぶりに逢うのには、緊張を要する。

それでも見栄を切り最低限の礼は尽くそうと、

床屋に寄って身だしなみを整え、

何処かの待合いに腰を掛けて彼女を待ったのだが、何故かこの時、

出逢ってから別れるまでの一年足らずの時間が鮮烈に蘇って来た。


新卒の彼女と始めて会った時の面接、入社前の巨牛荘での時間。

カラオケでオレの好きな、星影の小径を歌ってもらった事。

依頼しておいた仕事を間違えられ、はり倒した事。

九段の炉端屋に行く道すがら、号泣されて往生した事。

電話営業で見事成果をあげた時に、褒め讃えた事。

戸面原ダムの看板を相手が喜ぶほどに、一生懸命作ってくれた事。

大仕事終えた翌日に細やかな贈り物をしたら、感激してもらった事。

そして一番の思い出は、

過労で倒れられた夜と翌日見舞いに行った時の事だ。


そう、あの日は茅ヶ崎駅を降りたら雪が舞っていた。

そんな中、地図を見ながら探し当てたお宅はモダンな建物だった。

玄関の前に立ち呼吸を整え、躊躇いながら呼び鈴を押した時の、

心臓の高鳴りようと言ったら、なかった。

そして、突然の来訪に驚かれたご家族に非礼を詫び、

招き入れてもらった後、

オレに出来る精一杯の、謝罪の言葉を述べた。

然し、ご家族から返ってきた言葉は意外だった。

彼女は家庭で職場の事、仕事の話しを日常的にしていたらしく、

それは、彼女をお預かりしていた事への謝礼だった。

そんな武士の情けと言うか、寛大さと言うか暖かさに触れてしまい、

オレは、どうにも身の置き場が無くなってしまった。

居たたまれずに辞去した後、頭を冷やそうと雪の中を、

お宅からほど近い菱沼海岸に向かい、とぼとぼと歩いて行った。

その時、聴いていた音楽がコレ。


オレはあの時、

失ってはいけない、大事なスタッフを失ってしまった。

そう思うと何かドラマの主人公にでも成った気がして、泣けた。


そのピーナッツと、もう直ぐ逢える。

そう思うと逢う前から、不覚にも涙ぐんでしまった。


ピーナッツがやって来た。

満面の笑顔で、

「ご無沙汰していますっ」と挨拶をもらった時は嬉しかった。

早速、近所の鉄板焼き屋へ行き、旧交を温めた。

近況であるとか、まあ、いろいろ……だ。

そしてアッと言う間の2時間が過ぎ、一件落着。

最後、

東横線の渋谷駅で別れたのだが、

相も変わらず随分と気を遣ってもらった時間だった。

今と成っては、大した事は出来ないけど、

オレに出来る事があれば、何でも遣らせてもらいたい。

彼女とは、また逢う。


長く成ったので、もうヤメる。

そうそう、ヤメる前にだが、彼女の今の写真を載せておく。

髪型が少し変わっていたかなあ。















開業して十年が経ち、その間にいろいろなスタッフと巡り会えた。

オレも、あと2年で引退。

2年なんか僅かな時間だから、

こうしてラピス・ラズリで縁のあった連中に逢っておこうと思う。

さおりちゃんには春に逢えたし、画伯は南米だし、

となると逢っておきたいのは毎春、律儀に年賀状をくれる、彼女だ。


2011年08月14日(日)

吉右衛門。


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