2011年10月 のアーカイブ

吉右衛門の闘病日誌、安静の日々の巻。


先週の土曜日に娑婆に戻ってきてから、そろそろ一週間。

安静の日々を過ごす。


朝6時を知らせる体内時計で、起床。

起床とともにスポーツ新聞をエントランスに取りに行く。

話題は昨日のドラフトの事一色。

それを眺めながら野球のブログに、一筆啓上。

このブログは「ブログ村」に加入している事もあり、結構な賑わい。

ランキングは10位前後。

お若い方々に混じってヤラセてもらっているから、こんなものだろう。

それの投稿が終わってから、事務所に業務連絡のメールを発信。

こんな事をダラダラとやっていると8時を迎え、朝食。


9時半、

この時間は事務所が開く時間。

何も連絡が無い事の確認が出来、読書と朝寝で過ごす。


11時半、

今日は体調が良いので、最寄りの稲毛駅に向け散歩を兼ねて出発。

今、散歩と書いたが目的はもうひとつ、

12時に駅前のパン屋で焼き上がる林檎パンを買いに行くのだ。

そう、困った事に、

オレはどんなに体調が悪くても、食欲だけは衰えない。

出発時に女房に豆乳入りの鯛焼を買ってくよう、言いつけられた。

とぼとぼと1.2キロの道のりを30分かけて歩き、駅前に到着。

ちょっと息が切れたので、パチ屋で休もうか。

この稲毛駅、駅周辺にパチ屋が3件ある。

このうちの1件に、

オレの好きな「パチンコ中森明菜」が1台だけ設置してある。

やりたいな、一瞬思うも今のオレは、

タバコの煙をちょっと吸っただけで、死んでしまいそう。

だから諦める。

次に花壇に吸い殻を押し付けている、とんでもないジジイを見つけた。

「オイ!、ジイさん、何処に吸い殻を捨てとるんじゃっ!」

普段なら菅原文太風に言ってやるのに、

声を荒げると胸に響くから自粛。

これが今の、実情。

ちょっと歩いただけで息切れはするし、

やりたい事を我慢して、言いたい事も言えずに、

堪え難きを耐えているのだ。


女房に頼まれた鯛焼を買う。

そうそう、怒られるので

行く時に渡されたスタンプカードに忘れずに押印してもらう。

そして商店街のスロットを廻したら、ワカメが揃って1ポイント獲得。

これに気を良くして職場に電話をしよう、と思ったが今は昼休みだから

ヤメておいた。

そう言えば、スミレから取引先に納めた物件のチケットを貰ったので、

元気に成ったら一緒に行きましょう。とのメールをもらった。

このように弱っている時は、人の優しさが身に沁みる。


嗚呼、こんな日々はつまらない。

多少の事はあったも、男は営業だっ!。

林檎パンを買い、バスに乗り家路に赴く。


お仕舞い。


2011年10月28日。

吉右衛門。


お祭り

吉右衛門さま退院おめでとうございます。

お声を聞けて安心致しました。


さて・・・先週、私はお昼休みに祭に行っていました。

小伝馬町で毎年開催されている「べったら市」です。

小伝馬町には小さな恵比寿様がいらっしゃって、

皆さん商売繁盛を願ってお参りをしていました。

私もビルの隙間の小さな神社で手を合わせて

いそいそと屋台へ



東京のお祭はにぎやかでいいですね。

夜になると色っぽい着物姿のお姐さんが歩いていたりして素敵でした。


べったら市というのは、べったら漬けという、麹と飴で漬けた甘い漬け物を売るお祭です。

全ての店を試食して、つまみ用に一本購入しました。

いま冷蔵庫が麹くさいです。



お昼ご飯。豚玉焼き。


吉右衛門の闘病日誌、最終回の巻。


またも近代医学のお陰で助けられました。

12年前にやった時は急性で、三途の川から戻ってきたのですが、

今回は主治医の先生と紹介先の先生の的確な判断で、

何とか未然に防ぐ事が出来、なんだか九死一生を得た感じです。


今度の事では家族に迷惑を掛け、社員さんには心配をかけました。

職場には早ければ来週から戻る予定ですが、

あまり病人扱いはしないでください。


東都クリニックの主治医の先生、

東大付属病院で手術をくださいました先生方、

朝に夕に身の回りの世話をしてくださった看護師さんたち、

そして職場の娘さんたち。

OGのハナコさん、ピーナッツ。

どうもありがとうございました。


これで闘病日誌も最終回とします。


来月からは、営業日誌の復活です。


どうぞよろしくお願いします。


2011年10月25日


吉右衛門。



吉右衛門の闘病日誌、六日目の巻。


不眠が続く。原因は不慣れな環境や手術後の処置。

そこで昨晩は思った、入院最後の夜くらいは寝てやろう、と。

前夜、23時まで睡魔を完封して就寝、朝まで寝るつもりであったが、

残念でした。またも午前2時に目が覚めてしまった。


真夜中に天井と睨めっこをしていて思考が流れた先は、女房の事。

今回の事では、彼女を随分と不安に陥れ心配をかけた。

今更だけど、なんだか申し訳ない気持ちでいっぱいだ。

今からちょうど40年前、

オレはまだ若くて可愛かった、彼女を口説いた。

そして「うん」、と言わせ所帯をもった。

一緒になった当初は、こんな事は考えもしなかったが、

苦楽を共にし、お互い年を重ねてくると、

男として守らなくては成らないものが、わかってくる。

そう、口先だけではなくて、だ。

彼女は結婚してから36年の間、

家事と育児に勤しみ、いわゆる勤めを経験していない。

そんなわけだから、オレに先立たれたら、路頭に迷うだろう。

ましてや、世はエレクトロニクスの時代だけに尚更だ。

それに、何よりも40年も一緒に暮らしていただけに

寂しさにも耐えられないだろう。


その辺の処をよく考えてみると、

矢張り、オレが先に逝ってしまうのは酷だろう。

ズッと昔の事だけど、

口説いた時の、「幸せにする」って約束は守らないといけない。

だから、その辺の寂しさや悲しさは、オレが全部引受けるべきだ。


前夜に任侠映画をみていたせいで、妙に男がでてしまった。


そんな事をグルグルと考えていたら、夜が明けた。

窓の外は雨、路面が濡れている。

そんな景色を延々と眺めていたら、

女房と娘が疾風のように現れて、アッと言う間に部屋を片付け、

看護士さんに部屋の明け渡しをして、一件落着。

退院と、相成った。


オレの細く閉塞されつつあった血管を拡げてくれた先生方、

毎朝、毎夜オレの世話をしてくれた看護師さんたち。

どうも、ありがとうございました。

オレは、退院します。


お仕舞い。













ブジカエル。


2011年10月22日。

吉右衛門。



吉右衛門の闘病日誌、五日目の巻。


今日も日付変更線の辺りからか、眠れない夜を過ごす。

その原因はカテーテルを入れた術後の処置。

止血をすべく巻かれている空気圧のベルトに、

右手が容赦なく締め付けられて、痛いのなんのって。

当初は、男だから我慢、と痩せ我慢で年端の行かない看護士さんに

弱みを見せるのを躊躇っていたが、

夕食後に服用した鎮痛剤が切れると同時に、ギブアップ。

結局朝迄、眠りに就く度に痛みで起こされる。

この間、思考は何処に流れていたのか、今と成っては忘却の彼方。

まあ、大した事を考えていた痕跡が無い事だけは間違えない。


朝を迎え、

看護師さんに、いつもの事をいつものように行ってもらってから、

先生が幾人もやってきて、採血やらバンドの解放をしてくれた。


どうやら此度の入院も大詰め。

この採血の結果次第で、明日か明後日の退院と成る。

昨日の日誌にも書いたが、

オレとしては、ココの生活にも慣れてきたので

別に慌てて娑婆に戻れなくもよいのだが、

家族の事を考えると、早いに越した事はないだろう。


この日は特筆事項が無いので、箇条書きにして終えようと思う。


8時、朝食とスポーツ新聞。

9時から読書。

池波正太郎原作・さいとうたかを画、仕掛人藤枝梅庵。

11時半、採血の結果が出て退院が決まる。

12時、昼食。

13時、面会予定のラスベガスに電話、回避理由を伝え謝罪。

13時半、DVD鑑賞。

東映、新仁義なき戦い・組長の首(1.976年、深作欣二)。

15時、退院後のリハビリの見学と申し込み。

16時半、事務所に電話。スミレの悩み事相談。

17時半、面会予定のミシマルに電話、回避理由を伝え謝罪。

18時、夕食。

19時、DVD鑑賞。

東映、仁義なき戦い・広島死闘篇(1.973年、深作欣二)。

北大路欣哉と梶芽衣子の演技に見惚れた。

21時、インターネット閲覧。

23時、就寝。


ダラダラと書き並べたが、早い話ヤクザ映画と漫画で過ごす。

実はオレ、昔からヤクザ映画が大好き。

学校を抜け出して観たのは、高倉健の「網走番外地シリーズ」。

そして、この「仁義なき戦いシリーズ」に到っては青春そのもの。

あの時代は、キラ星の如く役者さんが排出された時代。

今迄、これら同じ映画を何度見た事か。

当時の大部屋の俳優さんの名前も、可成り知っている。


学校は男社会、社会に出てからも男の縦社会をズッと歩んできた。

それが、どこでどうなってこうなったのだろう。


お仕舞い。


2011年10月21日。


吉右衛門。



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