‘吉右衛門’ カテゴリーのアーカイブ

無題


街へ出ると外国人と行き交うことが多くなった。

漢字圏や欧米は無論のこと、近頃は東南アジア、印度、中近東と思われる方々も数多く目にする。

目的として従来の就業や留学は言うに及ばず、ひと目で観光目的と分かる方が多い。


その観光であるが、わたしの少・青年時代といえば、1ドル、360円の時代。

今では信じ難い円安の時代であったが、街で外国人と行き交うことなど殆どなかった。

その所為ばかりではないが、わたしは外国人への対応がどうにも苦手。


それは置いておいて、観光に来られた方々は実に楽しそうだ。

ご家族や友人と日本の文化に触れられている。

それを見るにつけ洋の東西を問わず、よい旅をしてもらいたい、と願わずにはいられない。


それ故、わたしも日本人として彼らには出来るだけ、優しく親切にしたいと心掛けている。


が、わたしは外国語がまったく喋れない。困ったことだ。

道を尋ねられても指を差すばかりで会話はおろか、筆談すらもできない。


悲しいばかりである。


言葉が喋れたらな…。

別れ際に、「お気をつけて」「素敵な旅を」と笑顔で伝えることもできる。

こんな言葉を添えるだけで、彼らの旅が楽しくなればこんなにも嬉しいことはない。


来月からは時間ができる。

今更であるが、外国語の勉強でもしてみようかと思う。


零和元年7月7日

吉右衛門


無題


わたしには出勤する前に立ち寄る処がある。

馬喰町駅から江戸通りを南西の方角に歩き、小伝馬町の交叉点を右に折れたところにある風情のある公園だ。

その名を、十思公園と云う。

この公園は数多くの歴史愛好家が訪れる由緒ある公園であるが、その説明は次回に廻すとして、こちらで今日の一日を思案したり、取引先等に電話を入れてから事務所に入ることを常としている。


前置きが長くなったが、五月の或る晴れた日のこと。

こちらの公園で例によってボンヤリと思案に耽っていると、保育士さんが(お散歩カート)で幾人もの園児を乗せてやってきた。

ふた組くらいの人数であろうか。結構な人数であった。

保育士さんが、その子等をカートから降ろすと、ひとりの坊やがわたしの座るベンチに駆け寄ってきた。

何をしようとしているのか…。

気になって注目していると、その子につられたかのようにお友達も集まりだした。

結句、あっと云うまに数人の園児に囲まれてしまった、わたし。

おそらく最初の子がリーダーだったに相違ない。

おじちゃん、なにをしてるの?。

片言での問いかけに、

おてんきがよいから、おそらをみていたのだよ…。

ぼくはなにをしにきたの?

おゆうぎをしてから、すなばであそぶの…。

そう、いいなあ…。

このような会話を始めると、次々に他の子らが話しかけてくる。

こうしていると、何やら妙な嬉しさがこみ上げてきた。

昔、夢中で仕事を追いかけていた時には、このようなことは一切なかったのだから。

こうした幸せ感に浸っていると、

そんなわたしの心中など知る由もない保育士さんが恐縮しながら駆け寄っていた。

すみません、お仕事の邪魔をして…。

いえいえ、ボンヤリを空を眺めていただけですから…。

と、言ったものの。

○○ちゃん!ダメでしょっ!お仕事の邪魔をしては。

こう言ってわたしに笑顔で会釈をしながら、園児らに振り向き、

おじゃちゃんにバイバイしなさい。

おじちゃん、バイバイ。

聞き分けのよい園児らはわたしに手を振りながら 、素直に公園の中央に方に歩きだした。

みんなもバイバイね。

立ち去る園児に、精一杯の笑顔で手を振るわたし。

突然、お訪れた幸せは、数分のできごとだった。

そして変われば変わるものだと思った。

ひと昔前には、幼児が集まることなど有り得なかったのだから。


還暦を過ぎ孫が生まれ、わたしも少しは穏やかになれたのだろうか。


風雪は人を鍛える。


零和元年6月20日

吉右衛門


無題


先々週の或る日、弊社で納めた物件の記録写真を撮りに行った。

連れのアシスタントの説明を受けながら展示室に入ると、そこには見事に飾られたパネルが並んでいた。

よい出来栄えであった。とても嬉しく思った。

わたしは永く営業をやっているが、新規開拓営業に訪問をした時には必ずやっておくのが展示室の見学である。

そこで「いつかウチの事務所で作ったものを飾らせてもらいたい」と強く思う。その信念が今日まで続けられている大きな要素と思っている。

これからも頑張れればよいと思っている。


2019年3月18日


吉右衛門


「栄冠は君に輝く」の巻、後編


第100回全国高等学校野球選手権大会。大阪桐蔭高等学校(北大阪)と金足農業高等学校(秋田)の試合が始まった。


スタンドの応援は日本人特有の判官贔屓とでもいうのか地元、大阪桐蔭よりも金足農業の方に圧倒的、多く感じられる。やはり観客の多くはエースの吉田くんの頑張りと、ここまでのドラスティックな勝ち上がり方に魅せられているのだろう。


さて試合。

金足農業は序盤からエースの疲労に失策までもが加わって苦しみながらも、どうにか持ちこたえてきたが中盤になるともういけない。プロ注目の大阪桐蔭、根尾くんに本塁打が飛び出し一方的な展開に。そしてそのまま波乱もなく試合終了。大阪桐蔭の強さばかりが目立った試合だったが、勝ち負けよりも全力を出して戦った選手を讃えたい。そして監督、コーチは無論のこと、残念ながらベンチには入れなかったがスタンドで声を枯らして声援を送った野球部員、そして三年間、その選手に一生懸命、お弁当を作って我が子を励まし続けたご両親。その辺りにまで思考が流れると、何やら得体のしれない感情が湧いてきた。


試合が終わると閉会式。

司会を務める地元の高校生の進行でお偉いさんの挨拶、真紅の優勝旗の授与等が滞りなく終わると、司会のお嬢さんが、「これから大会歌の合わせて優勝チーム、準優勝チームが場内を一周します。スタンドの皆様も一緒にお歌いください」と粋なことを言ってくれる。この大会歌、「栄冠は君に輝く」を歌わしてくれるそうだ。


わたしも立ち上がり、♪ 雲はわき 光あふれて…… からの歌詞を誰に憚ることなく大きな声で歌う。

そして選手が目の前に来た頃にはもういけない。感動、感動また感動で涙がとめどもなく流れてきた。


改めて感じた。甲子園は途轍もなく凄いところだった。

吉右衛門、六五歳の夏。


平成30年10月8日

吉右衛門


おまけ

写真を並べます。

上から、球場、夏雲が浮かぶ満員のスタンド、大盛り上がりのアルプススタンド、入場券、帰路に寄ったお好み焼き(お店のお嬢さんがマヨネーズで通天閣を描いてくれた)。



「栄冠は君に輝く」の巻、中編


人生初の甲子園球場へやってきた。入場券を持ち合わせていないのにだ。

実はわたし。昨夜までベッドの中でゆくかゆくぬか、ずいぶんと悩んだ。頭の中の上皿天秤が上がったり下がったりを繰り返した。では何が決め手となったのか。入れなくてもよいから甲子園球場を味わいたかった。阪神電鉄にも乗ってみたかった。さらに球場内の施設である甲子園歴史館を見学したかったことにある。


やはり甲子園球場は独特の雰囲気がある。

しかも今日は決勝戦。盛り上がりかたも凄まじい。で、球場の周囲をとぼとぼと歩き廻ってから歴史館へ入ろうするも、入り口がごった返していてとても入場する気にはならない。これには当てが外れたが、まあよい。待望の甲子園にもきたことだし、試合の方は宿へ帰ってTV観戦しようと駅へ向かいかけると、先ほどは気づかなかった行列ができているではないか。訊けば内野の当日券を求める列だという。それを聞くや否や列の後方に並んだが、残念でした。そううまくはゆかない。拡声器も持った係員から並んでも入手はできない旨を聞かされる。で、諦めて列を離れると何処かへ走る人の群れに出くわす。それは外野席を求める人々だった。


外野席に入場。

すでに満席に近いなか、ベンチの中ほどに三席分の空間を見つけて着席。やれやれと隣の空間に鞄を置いて、ひと息つく。空を見上げると紺碧な空間に夏雲が浮かぶ。ここに甲子園の原点を感ず。

原点を感じたのはよいがプレーボールまでは二時間以上もある。このすし詰状態の炎天下で、どう時間を潰すかを思案していると隣の空席にひとりの中年ファンが現れた。そして着席するやお友だちに連絡をとっている。どうやら離れ離れで観戦するハメになっているようだ。

「あのお、よろしければこの鞄を足元に置くのでお友だちを呼んであげてください」。会話を盗み聞きしたようでバツが悪かったが、言ってみるものだ。ずいぶんと喜んでくれた。そして新たに現れたご友人も含めて意気投合。野球談義に花が咲き、二時間などあったいう間に過ぎ去った。


後編に続く。


平成30年9月30日

吉右衛門


お詫びです。

今回で終わらすべく前回よりマウスを動かしてまいりましたが、駄文に駄文が重なり終えるには至りませんでした。で、もう一週いただいて締めようと思います。だらだらとごめんなさい。


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