2012年6月 のアーカイブ

運動

こんにちは。

お久しぶりです。


もうあと1ヶ月程で、夏休みの時期です。

あぁ。早い!


話は飛びまして最近の休日。

2ヶ月程前から、せっせと謎に壁を登り始めました。


運動は、めっきりご無沙汰していたので

激的な筋肉痛を伴っておりましたが。。。若干最近は慣れてきました。


運動不足解消にもいいし

カラダのストレッチにもなるし。。

微妙に頭も使うし。


なんと言っても、クリアしてくのが嬉しい。。。


そして、運動後の

激ウマビール。


オススメのスポーツ、

ボルダリングです :-D


ニコタマゴロウの営業日誌 三島湖の陣

年が明けてから、

吉右衛門さまと庄内さまと私ニコタマとで進めていた、

極秘プロジェクトがあります。


その名も「釣りポイントマップ」制作。


まあ極秘なんて言いながら、


社内のプロッターでは何度もテストプリントしていたので、

ラピスラズリの皆さんはご存知のことと思いますが・・・。


自他ともに認める釣り名人、吉右衛門さまが

趣味がてら営業を仕掛けた末、ゲットした案件!

休暇を楽しみつつ営業もしてしまうとは、流石。


釣り人が訪れる釣り堀の拠点に、

ポイントマップを設置しよう!という計画です。


釣りのことは皆目分からないニコタマですが、

吉右衛門さまを始め釣り名人のオジサマがたが続々と現れ、

さらに庄内さんのデザイン力により、

ポイントマップは構想からみるみる立派になってゆきました。


あーでもない、こーでもないと

ペンを握る吉右衛門さまの目の輝きったら!


そして6月19日、

台風4号が接近する中、満を持しての納品日がやってきました。


目指すは千葉県三島湖。

経路はわが岩本町から川崎に出て、海ほたるで東京湾をひと越え、

木更津のアウトレットを横目に君津へ・・・・!


とまあ、私の記憶はそんなところで、

あとは吉右衛門さまとあれやこれや話をしているうちに

気づけば山の中でした。






さっきまでパソコンの前にいたのに




左のお家が目的地です。


釣り舟がビッシリ!


アテンダント吉右衛門さま



釣り堀オーナーさんへ突然降ったアイディアにより、

取り付けは後日、完成のパネルは梱包のままサヨナラと

なってしまいましたが、


なんとも新鮮な光景に、生き生きとした納品でした!



関わってくださった皆様、有り難うございました!!



ぷりめろ閉店。の巻。


私は毎朝、判を押したように10時10分前に、

地下に在る馬喰町駅から地上に這い上がってくる。

ここでひと息もふた息もついてから、

息が整うと同時に姿勢を立直し、何事もなかったかのように、

目の前の交差点に向かって歩き出す。

そして、馬喰町の交差点を左に折れ

清洲橋通り、金物通りを経由して事務所へと向かう。

このコースは遠回りなのだが、

広く整備された歩道と、充実した街路樹の景観を楽しめるので、

このルートを辿ることを、朝のルーティン・ワークとしている。


或る日の朝、このルーティンに異変が起きた。

朝っぱらから、「時には娼婦のように」を口ずさみ、

いつものルートをとぼとぼ歩いていると、

いつもと違う光景に気がついた。

お世話に成っている喫茶店、

「ぷりめろ」のシャッターが降りたままなのだ。


果て、女将さんが病気でも患って休んでいるのか…。

胸騒ぎがして、道路を渡って近づいてみると

小さな張り紙に、“5月末日で閉店”、と書いてあった。

オッと吃驚!。

慌てて、顔見知りのお隣のパスタ屋さんへ

準備中の非礼を詫びながら確認に行くと、矢張りその通りだった。


衝撃だった。

女将さんは昭和42年からやってるって言ってたから、

足掛け45年だ。

よく考えてみれば、お年もオレより10歳くらい先輩だったから、

無理もない。

でも、寂しくなるなあ…。


オレ、この店には思い出が、沢山ある。

三遊亭画伯の誠意有る辞意を受止めたこと、

田沼美冬と旅行の夜の馬鹿話をして、へらへら笑ったこと、

……、

書けばキリがないけれど、

ミーティングが終わった後、

いつも女将さんには元気をつけてもらった。


45年も続けた店を閉めるって、どういう気持ちだったろう。

オレにも、「お疲れさまでした」のひと言を

言わせてもらいたかった。

あの元気で明るかった女将さんは何処に行ってしまったのだろう。

どうか、お元気でお過ごしください。


こうして、オレの廻りからひとりふたりと人が去っていく。

堪んないね。

梅雨空が身に沁みる、昨今だ。


吉右衛門。


夏の窓

もうすぐ夏ですねー。

私の部屋の外(大家さんの庭)の樹が育ちすぎて森みたいです。


何となく沖縄に旅行した時のことを思い出します。

民宿の窓から見た風景がこんなんだったような…


沖縄に行きたい〜と思いながら週末本を読んでだらだらしていました。


でも布団が干せない… そして虫が気になる…

網戸に殺虫剤をまいておきました。

2023年某日、「民宿ちゃこ」を訪ねた。の巻。


オレはペンキ屋が可愛い。

ペンキ屋を、猫っ可愛がりしている。

先月の或る日、そのペンキ屋の夢をみた。

切なくて胸が、キュンとなる夢だ。

人間、齡六十が迫ってくると、センチメンタルになっていけない。


あれはペンキ屋を連れて、都寿司へ行った時の夜。

ペンキ屋に喜んでもらいたくて、この店を選んだ。

この店の予約は大変。随分と苦労する。

今回の予約も先々月の半ばにやっとであった。

然し、そこまでしても、

ペンキ屋に、喜んでもらいたかった。

そんな得体の知れない魅力が、ペンキ屋にはある。

夕刻、ペンキ屋と入店。

生の麦酒を1杯、2杯…と飲み干し、お任せで握ってもらう。

美味しい、美味しい、と笑顔で頬張るペンキ屋。

そんな上機嫌なペンキ屋をみて、ほくそ笑むオレ。

連れてきてよかった。オレにとっても至福の時間だ。

宴が進むと、酔いが廻ったのか

ペンキ屋のウナジが桜色に染まってきた。

オレがもう少し若ければ、ロマンチックなハートに火がついて、

次の店に流れるのであろうが…、流れない。

今のオレには、コレが精一杯。

ひと通り飲んで食って、あっけなくお開き。

人形町の駅で別れたのは宵の口の、19時ピッタシだった。


夜。

夢をみた。

ペンキ屋に逢いに行く夢だ。


電車とバスを乗り継いで、どうにか目的地まで辿り着いた。

そこが山の麓なのか湿原だったのかは、覚えていない。

ただ、近くに海はなかった。


バス停で待つように言われ、ぽつ然と待つ。

数分待ったであろうか、

ペンキ屋が、軽トラックで迎えに現れた。

10年ぶりの、再会だ。

軽トラックの側面には、「民宿ちゃこ」

とゴシック文字で小豆色のCSが貼ってある。

そう、オレは今、

昔、働いてもらった娘たちを尋ね歩いている。

そして今回、民宿の女将におさまった、ペンキ屋を訪ねた。

「久しぶりだな、逢えて嬉しいよ」

「こちらこそ、遠い所をありがとうございます」

「オマエ、子供は?」

「3人です。一番上が来年小学校」

「頑張ってんな」

「ぼちぼちです…」

「ぼちぼちなんて言葉、いつ覚えたんだ」

「旦那が、関西ですから…」

そうか、そうだった。コイツの亭主は関西人だった。

「オマエ、変わんねえな」

「社長は老けましたね。幾つになりました?」

「七十…」

「えぇーっ!、ななじゅーっ!」ぎゃははははーーーっ!。

「……」。


この晩、オレは随分とペンキ屋に世話を焼かせてしまった。

ひとっ風呂あびて、

手料理をゴチに成り、飲めない酒も注いでもらった。

「お冬姉さん、元気でした…?」

「白い家に棲んでた」

「スミレちゃんは…?」

「絵、描いてた」

「あとは…?」

「鶴嬢は年をとらない、相変わらずスレンダー。

画伯が帰国してデザイン事務所を開いた。

それから、ピーナツは東尋坊の土産屋に嫁いだ。

あとはオマエの知らない人だし、オレもよくしらない…」。


翌日、バス停まで送ってもらう。

そしてバスが来て、お別れ。

いつまでも、いつまでも、手を振ってくれた、ペンキ屋。

もう逢えないのだろうな…。

でも、ペンキ屋の幸せが確認できたからいいじゃないか。

寂しさと安堵感が入り混じった複雑な思いで、帰路に赴く。


この辺りで目が覚めたのか、

別の夢に移ったのかは覚えていないが、

確か夢のなかで「70」と言っていたから、

これは11、12年後だ。


オレは今、また体調を崩して休んでいる。青息吐息だ。

そんなオレが七十歳なんて、まさに夢のよう。

でも、そこまで頑張れて、

スミレ、ペンキ屋、ピーナッツ、美冬に逢いに行けたらいいなあ。


吉右衛門。



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