2013年10月 のアーカイブ

「板前への旅立ち、お粥を作った」の巻。


来世では板前になりたいと思う。

いろいろな食材を勉強して献立を作る。

それを客に出して喜んでもらう。

そして夢を語れば、

その料理を食べに遠くから足を運んでもらうのだ。


毎月、通っている鮨屋がある。

完全予約制なのだが、評判が評判を呼びすごい事になってきた。

通い始めた去年の春頃は二ヶ月待ちであったが、

今は半年待たないと、そのカウンターには坐れない。

自分は運がよく、何度も接待の席を設けさせてもらっているが、

お連れした誰もが喜ぶ。

接待してよかったと思う。

そんな風に誰からも喜ばれる仕事をしたいのだ。


白状するが、実はオレ。調理が出来ない。

しかも、まったく出来ない。

所帯をもってからというもの台所に立ったのは、

女房が入院をした時だけだ。

スーパーで隣り合わせた奥さんからレシピを訊いて味噌汁を作った。

人生初の味噌汁作りであった。

酷い味だった。

この世のものとは思えない味であった。

当時小学生だった子供たちも呆れていた。

以来、自分に調理は不可能と思い、台所からは遠ざかった。


それから数年後、魚釣りをするように成った。

へら鮒を釣りに行くのだ。

この釣りの妙味は餌の巧拙が釣果に影響を及ぼすことだ。

餌には麩餌を使う。

何種類もある餌から釣具屋で数品を選んで釣りに行く。

この魚は生意気にも日によって、好みが違う。

それを麩の配合と水加減で、その日の好みを探るのだ。

そして一番のよい餌を作った釣り師が、竿頭となる。

竿頭になった快感といったらない。翌日の新聞にも載るからだ。


女房が病気に成った。

オレの出番がやってきた。

釣りの要領でお粥を作ってみたくなった。

女房もへら鮒も、たいしてかわらないだろう…。

そう高をくくって、数年の時を経て台所に立った。

冷凍してあったご飯に味噌と玉子を加えた。

出汁も投入したかった。

鰹節を削りたかったが、そんな気の利いたものは我が家にはなかった。

仕方なく、パックの振りかけ状のものを使った。

加減はわからないが、まあいい。

お粥を食って死んだ話は訊いた事がない。

材料のすべては几帳面にメモに残した。

計量はカップも匙もすり切れで計った。次からの資料にする為だ。

本来は何度も試作をしたかったが、ぶっつけ本番で作った。

彼女はオレを気遣って、美味しいとはいってくれたが、

ホントはどうだったのだろう。

次回は肉を焼いてみたい。


写真、キャプション。

今回世話になった、お粥くん。

目と頬っぺのグルグルは、

カッティングシートを貼って顔に仕立てた。


























お仕舞い。


吉爺。



「名古屋で三遊亭画伯と会った」の巻、後篇。


2013年10月08日(火)。


起床9時半。

ベットから起き上がった。

よくは眠れなかった。

枕が替わったせいとも思えないが、小説を片手に眠れぬ夜を過ごした。

そんなことが祟ってこのような時間になってしまった。

帰路の運転を思うと、少しでも身体を休ませたい。

再びベットに戻り天井を見上げていると、

姫と清洲城へ来た時の事を思いだした。

営業の種蒔きであった。

あらから三年が経った。

それが結実して来春、大きな物件が受注出来そうな気配だ。

そう言えば、清洲城の後、徳川美術館へ行ったのだが、

姫に案内されてひつまぶしを食べたのを思いだした。

鰻でも食って帰るか…。


(あつた蓬莱軒)にやってきた。

11時の開店に合わせて来るつもりが出遅れてしまった。

15分しか遅れていないのに、待合いには20人以上が列をなしている。

時間潰しに姫へ蓬莱軒に居る事をメールで報せると、

いいなあ…。

こんな返事が戻ってきた。

よく考えてみたら今、彼女は繁忙期たけなわだ。

不謹慎なことをしたと後悔が浮かんだ。

しかし、このメールが今日の予定に大きな変化をもたらせた。

三遊亭画伯からもメールがきていた事に気づいたのだ。

内容は昨日の礼で、どこまでも律儀な画伯であった。

そして気づいたのだが、文末には住所が記してあった。

彼女は今、屋外で働いている。

仕事中だから声を掛けるのは憚られるが、額に汗をしている姿を遠くから覗いてみたくなった。


13時。

姫への罪滅ぼしに彼女の分もと大盛りで食ったのが失敗であった。

鰻で腹が膨れてしまった。

それでも、ナビゲーションをセットして画伯の根拠地に向け出発。

濃尾平野といえば、肥沃な穀倉地帯が頭に浮かぶ。

そんな田園風景を思い描いたが、立体の国道からはハンドルにしがみつくのが精一杯で、景色を拝む余裕などはなかった。

小一時間も走っただろうか。彼女の居住区域に着いた。

しかし、何処が何処だか分からなかった。

ふらふらしているのを彼女に見つかりでもしたら、また気を遣わせてしまう。

せっかく来たけど、退散しよう…。

僅か数分の滞在での、とんぼ帰りと成った。

その帰路の事。

この空の下で汗を流す、画伯を想った。

13年前の春。

日本橋小伝馬町の片隅に小さな会社を興した。

それが縁と成って、彼女と知り合う事が出来た。

そして彼女を訪ね、この見知らぬ土地に来れた。

人生の縁とは不思議だと思った。


吉爺。














この写真は帰路の新東名道の浜松SAから撮ったものです。

近代的な道路ですね。


「名古屋で三遊亭画伯と会った」の巻、前篇。


2013年10月07日(月)。


名古屋の中心、栄町。

この町の片側三車線道路に面して、古いホテルがある。

そのホテルのフロントが画伯との待合せ場所であった。

約束の時間にエレベーターから下りると、彼女が待っていてくれた。

彼女とは今年一月以来の再会となる。

その彼女と名古屋で会うことに成るとは思わなかった。

彼女にしたってオレが名古屋まで尋ねてくるとは思わなかっただろう。

そうそう話の順序が逆になってしまったが、

今回、彼女に無理を言って押しかけたのは、

事務所のウェブのトップページのデザインを頼みにきたことにある。

このデザインだけは外部で作りたくなかった。

退職されたとはいえ、彼女は身内同様。

それ故のお願いであった。


名古屋名物数あれどその代表格は、名古屋コーチン。

その鳥料理屋を彼女が予約してくれていた。

ホテルから料理屋迄は数分の距離。

その間、旧知の間柄とは言え、いきなり話が止まらなくなるオレ。

それを素敵な笑顔で受け止めてくれる彼女。

烏龍茶で乾杯したあとデザインについての夢を語らせてもらった。

その戯言を、微笑み浮かべ聞いていてくれる姿勢は昔のままだ。

そして本題が終わっからは雑談となった。いい時間であった。

思い起こせば、彼女が在籍してくれたのは

2005年の晩秋から寿退社される2009年の初春迄の三年半。

面接をしたのは、オレであった。

求職者の誰もが黒尽くめの服でやってくるのだが、彼女は違った。

カジュアルな格好で登場し、

なんとも人懐っこい笑顔でデザインへの思いを熱く語ってくれた。

そして最後に放ったひと言は今でも耳に残っている。

どうしてもやりたいのですよ…。

その熱意にほだされ、翌月からお越し願った。

言葉に嘘はなかった。

造ってもらったものはどれも素晴らしかった。

息を呑むことさえもあった。

それは実践でも如何なく発揮された。

どれもが納入先に喜ばれ、自分としても鼻高々であった。

この頃は売上げの最盛期。

彼女の元には多くの指名がきて、沢山の汗を流してもらった。

彼女に来てもらって良かったと思った。

しかし、掛けたご苦労には忸怩たる思いも芽生えていた。

そんな思いであったが、咲かせた昔話は面白かった。

彼女の人柄なのだと思う。

深刻な話は一切なかった。

あはは、と笑ってばかりで過ごせた時間であった。

時計をみると、時刻は21時半。

名残惜しかったが、引き止めるわけにもいかず、

記念写真を撮って、一件落着。

お別れとなった。


去年の初冬のことだ。

彼女から一通のメールが来た。

開封すると、こんな書き出しになっていた。

消息不明状態になっていたのでお忘れになられたかもしれませんが…。

長い中米、南米への新婚旅行から帰国されての第一報であった。

あれからそろそろ一年になろうとしている。

律儀で礼節を弁えた彼女とは長くお付合いできればと思う。


2013年10月07日(月)。


吉爺。


この写真はご本人からの許諾を得ておりません。

彼女から抗議があった場合、撤去致します。




















移転しました。


各位


ブログをこちらに移転しました。

移転の理由はトップページの天地サイズを縮小したかったからです。

ブログのバナーを外し文字間もツメたので収まりがよくなってきた気がしますが、如何でしょう。


一昨日、来年のリニューアルに備えて、名古屋へ行ってきました。

次回のデザインを受け持ってもらう三遊亭画伯に逢う為です。

コーチンに舌鼓打ちながらの楽しい夜でした。

それにしても、ウチの事務所で働いていた方と名古屋で逢うなんて、

人生、わからないですね。


吉爺。


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