2014年3月 のアーカイブ

来月から連載が始まります。


どうも、吉右衛門です。

忙しい日々が続きました。

その間、ひとりでブログの更新をしていたのですが、

そろそろ職場が落着いてきたので、

元のスタッフ参加のブログに戻します。


そして、来月からは四本の新連載が始まります。

これがその連載と内容です。

(並びは掲載順)


白鳥ダンクの、「満腹放浪記」。

美食家で食いしん坊のダンクが、

和食、洋食、中華から甘味までを食べ歩きます。

銀座、人形町、水天宮、神保町、両国、浅草…。

美味しいもの情報が入れば、何処へでも行ってレポートしてきます。


ひこうき雲の、「シネマメモ」。

映画が趣味のひこうき雲。

ひこ坊が子供の頃に描いていた夢は、映画評論家になることでした。

そのひこ坊が最近観た映画や、過去の感動作品をレポートします。

そしてその評論は、俳優論にまで及びます。

ちなみにひこ坊の好きな俳優は、松田龍平さんです。


ニコタマゴロウの、「営業日誌」。

毎月7本程度の企画展を納めるニコタマが、

その艱難辛苦の日々を赤裸々に綴ります。

夢を語る顧客の要望を親身になって応える彼女の日々です。

そして人生、恋愛についても語ります。


激写の、私の旅と感動の一枚(仮題)。

激写は国内だけでなくあの若さで既に世界30カ国を旅しています。

そしてコレクションである旅の写真は、8.000カットを数えます。

その貴重な写真をデータと解説付きで公開します。


以上です。

今後とも、ラピス・ラズリのブログをよろしくお願い致します。


2014年03月30日(日)。


吉右衛門。


「いつでも夢を」の巻。


小学校の三年生になって、少年漫画週刊誌を買うようになった。

買い始めた週刊誌は、少年サンデー。

楽しみにしていた連載ものは、伊賀の影丸とおそ松くんだ。

発刊日は毎週水曜日だったような気がする。

その水曜日が楽しみで母からもらった50円玉を握りしめ、

自宅から10分ほどにあった商店街の本屋に買いに行ったものだ。


書き出しから脱線してしまったが、

この本屋の往復で、すれ違った幾多の大人が口ずさんでいたのが、

「いつでも夢を」だった。

なにせ、みんなが歌っていたものだから、

ひとり、ふたり…と歌っていた人を、指折り数えたことも覚えている。

家に帰ると母も居間と台所で、所構わず、いつも歌っていた。

そんな時代と環境だったから、私も自然と覚え口ずさむようになった。

紹介が遅れたが、この歌を歌唱したのは言わずと知れた、

橋幸夫さんと吉永小百合さんだ。

歌唱力があって清潔感溢れるお二人が歌っただけに、

大ヒットは当然であった。


小学校五年生の時だった。

この年の春の遠足は潮干狩りで、行き先は千葉の稲毛の浜だった。

干拓前の稲毛の浜は潮干狩りのメッカであった。

またも脱線するが、

当時の私は、後年まさかこの地に移住して愛犬の吉右衛門と、

この浜を散歩をするようになろうとは夢にも思わなかった。

閑話休題、

この頃、私が住んでいたのは、世田谷の用賀。

今でこそ、首都高速と東関東自動車道を使えば用賀から稲毛までは、

100分ほどで走れるが、

当時は高速道路のような気の利いたものは存在しなかったから、

気が遠くなるほど遠かった。

その遠さといえば国境を越えてお隣の国にでもいくのではないか、

と思ったほどだ。

それを紛らわせてくれたのが歌であった。

バスガイドさんの名調子合わせて、

前の席から順番に好きな歌って賑わった。


私の番になった。

私はひとりでは歌わなかった。

隣の窓際の席にいた、○子ちゃんと歌った。

○子ちゃんが隣り合わせていたのは偶然ではない。必然だった。

この○子ちゃんとデュエットしたのが、「いつでも夢を」であった。

前述で○子ちゃんと書いたのは、

意図的に名を伏せたのではない。不覚にも忘れてしまったのだ。

私と彼女は相思相愛で、将来を約束した仲であった。

そんな大切な人の名前を忘れてしまうとは、

そこまでヤキが回ったとは思いたくないが、

哀しくて涙が溢れてくる。


あらから、ちょうど五十年が経った。

そんな、ある日のこと。

あまちゃんで、「いつでも夢を」が流れるシーンに出くわした。

夏さんが東京に出てきて、橋幸夫さんとデュエットしたシーン。

病に倒れた夏さんを見舞い、病院の待合いにいた仲間が、

夏さんに届けとばかり、この歌を熱唱したシーン。

どちらも感動のシーンであった。

そしてそれを視た私は、あの潮干狩りのバスを思いだした。


今月の終わり、

ニコタマゴロウが私を浜松に連れて行ってくれるという。

私と彼女は相思相愛の仲ではないが、行きの道中で、

彼女と五十年ぶりにデュエットをしてみようと思う。


それにしてもだ。

彼女の名前は何だったのだろう…?

ゆみ子ちゃん、くみ子ちゃん、れい子ちゃん…。

ダメだ。さっぱり思いだせない。

やっぱりヤキが回った。


お仕舞い。


2014年03月19日(水)。

吉右衛門。


次回は「瑠璃ちゃんとの再会」の巻です。


「ジャイアントコーン」の巻。


あれは、東品川のコンビニエンスストアであった。

私は愛車、ベガ号の助手席にニコタマゴゴロウ乗せて彷徨していた。

北品川、八潮、鮫洲…。あまり土地勘の無い所だった。


14時46分。

あの日、私は港区にある文化施設への出前を頼まれていて、

出発予定の十五時を前に事務処理をしている最中だった。

普段と何も変わらない日常に、あの未曾有の天災に遭遇した。


16時半。

社内の応急的な処置を済ませると社員さんを自宅まで送ることにした。

私が受け持ったのは事務所より南側に住んでいた三名だ。

ベガに定員の四名が乗車したのはこれが最初で、その後もない。

コースは大田区を経由して川崎まで行く。

普段ならどうということのない道程だが、異常事態だった。

私は道に詳しい方ではないが、そこそこなら知っている。

主要道路が動かなくなっているのを察知し、ベガを裏街道に走らせた。

機転を利かせたのだ。

隅田川に架かる清洲橋を渡河し清澄通りから月島を経由して、

勝鬨橋から隅田川を渡り戻ってきた。

築地の渋滞を越えると混雑は割と緩和され、

汐留から突入した海岸通りもスイスイと走り抜ける事が出来た。


18時50分。

順調に走れていた海岸通りも天王洲を越えた辺りで動かなくなった。

痺れを切らしたのか、大田区在住の二名はココで降りた。

そして、ここからは二コタマゴロウと二人に成ったのだが、

過去に経験をしたことのない渋滞に嵌り、彷徨が始まった。

行けども行けども、ベガの行く手には車が溢れている。

ラジオから流れるニュースも、

この世の出来事とは思えないような事ばかりだった。


22時。

あの時、ニコタマとは車中でどんな話をしていたのか…?

話の内容は覚えていないが、空腹が襲ってきた。

それは彼女も同じだった。

そんな時、八潮の辺りをふらふらと彷徨っている最中、

彼女が見つけたのが冒頭の店であった。

強引とも言える右折をして店の脇の路地に車を停めた。

さすがにくたびれていた。

考えてみれば事務所を出立してから、五時間半。

初めてとる休憩であった。

彼女に食料の調達を頼み、

ベガから出て体操を始めると硬直していた身体がほぐれてきた。

彼女が戻ってきた。

そして手にしていたのが、「ジャイアントコーン」であった。


以来、ジャイアントコーンを見るとあの日を思いだす。

あの私が出来た事は、社員さんを無事に送ることだけだった。

それは篠やかな貢献だったかもしれないが、私なりに必死だった。


2014年03月11日、14時46分。

職場に居合わせた3名のスタッフと1分間の黙祷をした。

そしてジャイアントコーンを配った。

このことは来年も再来年も、その先もずっと続けて行きたいと思う。

合掌。


お仕舞い。


2014年03月16日(日)。

吉右衛門。


次回は「いつでも夢を」の巻です。


「あまちゃん」の巻。後篇。


場面は場末のスナックであった。

そこには娘の春子の歌に聴き入る忠兵衛と夏の姿があった。

それを演じた蟹江敬三さんと宮本信子さんの演技は凄まじかった。

二十数年ぶりに出戻ってきた娘への愛情を見事なまでに演じていた。

そして、そのシーンを自分に置き換えたら涙が止まらなくなった。

感度また感動であった。


2月11日から、このドラマを視始めた。

毎朝放映していただけに、週単位で小見出しが替わる。

それを踏まえて小見出し単位で視ようとすれば、一挙に六日分を視なければならない。一日単位では十五分の短いドラマもそれが六日となれば一時間半になる。しかし、その一時間半が一瞬に感じるところに、このドラマの面白さある。


面白さの源はなんだろう。

それは多分、親娘の情愛に適度な諧謔を織り込んだ脚本にあるが、それ以上に特筆すべきは豪華出演者の演技だと思う。


話は脱線外するが、私の少年期後半から青年期にかけての大ヒット作品と言えば、深作欣二監督の「仁義なき戦い」だ。

私はこの映画の大ファンでその熱きことには筋金が入っている。

映画館には何度も足を運び、ビデオ・DVDが発売されてからは全五作に番外篇を含めた八作を何度も何度も繰り返し鑑賞した。

この映画の面白さも役者さんにある。主役は無論の事だが、

脇を固めた役者さんの個性たるや主役を凌駕するほどであった。

あのキラ星の如く揃った役者さんが後年、当時を振り返り、

出演者が互いに負けじと張り合っていたから秀逸な作品と成った。

と専門誌のインタビューで語っていた。


人間、齡六十を越えると仕事というものが少しずつわかってくる。

鮨、散髪、按摩…。

それを生業にしているのは、どれも職人だ。

私がそこを訪れるのは、その職人たちの仕事に触れに行く。

そういった意味では、このドラマもそうだと思う。

役者さんの個性がぶつかり合って、

この素晴らしいドラマが創り出されたのだ。


閑話休題。

その素晴らしい役者さんは、上述のふたりだけでない。

杉本哲太さんのこのような役柄での演技は始めて視た。

小泉今日子さんは適役そのものだった。

塩見三省さんと荒川良良さんはいい味を出していた。

能年玲奈さんの目はキラキラと輝いていた。

そして海女を演じた五人の女性の演技と歌はズッと脳裡に焼き付いた。


昨夜。

「あまちゃん」の第12週72話を視聴した。

天野アキがアイドルを目指して上京していくところで終わった。

これから舞台が東京に移るようだから、ちょうど折返点辺りといったところか。

これからどうように展開していくのか。

見終わった時点でまた記事にしたいと思う。

そして最後に、

このドラマの挿入歌である

「汐朝のメモリー」の歌詞を書いて終わりにしたいのだが、

書くと怒られるし金をとられるから、それはヤメておく。


お仕舞い。


2014年03月09日(日)。

吉右衛門。


次回は「ジャイアントコーン」の巻です。



「あまちゃん」の巻。前篇。


私は今。世間様から遅れることちょうど一年。

この朝の連続テレビ小説を視聴している。


昨年夏。

日本橋蛎殻町の鮨屋へニコタマゴロウを連れて行った時のことだ。

彼女から不意にこのドラマの話を向けられた。

しかし、彼女が笑顔で物語の筋を話してくれたのだが、何のことだかさっぱりわからなかった。

そう、このドラマの存在すらよく知らなかったのだ。


実は私。

「あまちゃん」に限らず、この歳になるまで朝の連続テレビ小説なるものは視た事がない。

正確には池袋で工員をしていた頃。昼休みの食堂に「鳩子の海」が流れていたのは知っていた。

しかし、身を入れて視ていたわけではないから筋は疎か出演者さえも殆ど覚えていない。

では、何故縁がなかったのか。

それは多分、放映時間に通勤電車で揺られていたこともだが、何より仕事に夢中になっていて、テレビを視る余裕が無かったのだ。

当時を思い起こしても視聴していた番組といえば野球にニュース、そして子供らと視た歌番組しかない。


そんな私も近年は人並みに、テレビを視聴するようになった。

それは世間の動きに乗り遅れない為の情報収集とボケ防止が目的だ。

メニューは問わない。

報道番組から情報バラエティ番組まで、一日二時間を目標に視聴する。

そんな中、年明けに視聴した複数のトーク番組に招かれた

「あまちゃん」の出演者(杉本哲太さん、古田新太さん、片桐はいりさん、美保純さん)がホストの巧みな誘いに応えて、ドラマの秘話を明かすのを視て、昨年夏のニコタマの話を思いだした。

そんなに面白いのか…。

そう思うと無性にこのドラマを視たくなった。


思い立ったものの、一年前に終了したドラマの視る術がわからない。

そんな時であった。

ニコタマと仕事のお疲れさま会を中華飯店で催している最中、

「あまちゃん」を視聴したい旨を告白すると、彼女は好物の担々麺と春巻きを食べるながら饒舌に教えてくれた。

NHKオンデマンドを利用するのがよいという。

しかし、それを利用するにはパソコンでの視聴か、大画面で視たければテレビにインターネット回線を接続しなければならいともいわれた。

これには困った。

パソコンの小画面で視るのではつまらないし、もうひとつの選択肢であるテレビにネットを接続するなどという高等技術の持ち合せもない。

そこで電話屋さんに相談を持ちかけると既に我が家で利用している、ヒカリテレビで視聴できるという。

よかった…。

こうして、「あまちゃん」を視聴することが可能になった。


続く。


2014年03月05日(水)。

吉右衛門。


次回は「あまちゃん」の巻、続編です。


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