2011年10月 のアーカイブ

吉右衛門の闘病日誌、四日目の巻。


段々とココの生活にも慣れてきて、リズムも掴めてきた。

特別にチャイムが鳴るわけではないが、

朝は6時に看護師さんがやって来て起床。

直ぐに検温と脈拍、血圧の測定。

それが終わると間が空く。

間と言うのは売店が開店する迄の時間の事。

そこで、その間を埋めるべくこの闘病日誌をセッセと書いているのだ。

こいつを大凡30分で書き上げると、

丁度良い塩梅に売店の開店時間と成る。

7時半、この時間に入院棟と外来棟の関所とも言うべき鉄扉が開く。

それを待ちかねて、待ってました、

と言わんばかりにスポーツ新聞を買いに行く。

実はオレ、子どもの頃からのスポーツ新聞依存性。

これがないと生きていけない。

あとは三度の粗食の間に検査やら何やらが入って、

快適とは言えないまでも、営業が出来ない事を除けば、

大きな不満はない。


さて、本日は今入院のクライマックスである、手術の日。


10時半、

いつもの喧しい二人が登場。

折角鑑賞していたDVD「北陸代理戦争」が台無しに。


13時半、

予定時間の1時間半前、看護師さん登場。

手術着への着替えを促される。

そして奇妙なモノと細くカットされたミラーマットを渡された。

「あのお、コレは何でしょう?」

「手術中にお小水を我慢しなくてもいいようにです」、だって。

成る程、スソを拡げてみると避妊具のよう。

然し、オレは若い時分からこういったモノの厄介に成った事がない。

そんな事をブツクサ呟いていると、

見兼ねた看護師さんが手際良く装着して、

最後にミラーマットを根元にクルッと巻き付けてくれ、

一件落着。


14時、

車椅子に乗って、いざ出陣。

20分のインターバルがあって、手術台に。

先ずは名前の確認。

「イ・ワ・ム・ラ・キ・ヨ・ト」

「キヨトのキヨは、さんずいにブルーです」

次に手術着を外され、吸盤やら洗濯バサミをそこいら中に付けられ、

最後に工事現場のブルーシートの分厚いヤツを被せられて準備完了。


14時半、

手術開始。始めにカテーテルの挿入部である右手首に麻酔。

ココで眠りに入れて、覚めてみたら終わってた、なんて事だとよいのだが、

そうは問屋が降ろさず、ズッと起きていなくてはならない。

天井と睨めっこしてばかりではつまらないので、

ちょっと無理をして首を曲げるとモニタを覗く事が出来る。

詳細は不詳だが兎に角、

患部を治療してくれているのがライブの動画で確認出来た。

時々痛みも感じたが、トラブルらしき事もなく約40分で終了と相成る。


家族も呼ばれ、手術の経過と詳細、そして成功の確認もされ、

一件落着。


先生方に深謝深謝して、無事の帰還が叶う。


みなさま、ご心配をおかけしました。

無事に終了しました。

ありがとさんでした。


お仕舞い。

2011年10月20日。

吉右衛門。



吉右衛門の闘病日誌、三日目の巻。


明け方、やっと点滴が終わった。

何でも昨日の検査で使用した造影剤の排出を促進する為とかで、

2ℓもの液体が時速100ccで体内に入れられた。

単純に計算してかれこれ20時間もの間、

左手が拘束されていた事になる。あゝ、辛かった。

お陰で、未だ薄暗いうちから起床するハメにも成った。

スポーツ新聞が並ぶ売店が開く迄には、あと2時間もある。

さあ、どうしよう。

オレは貧乏性だから、こんな時は困るんだ。

取り敢えず、何気なく眼下の不忍池を眺めていたら、

大きな波紋が拡がっている。

あの魚の正体は何だろう?。

鯉か大口バスか、オレも端くれではあるが、へら鮒釣り師。血が騒ぐ。

こんな身体に成っちまったが、また釣りに行く事は出来るのだろうか。


8時、

スポーツ新聞を3部も買ってきて眺めていたら

ドラゴンズの落合監督の胴上げの写真が目に入る。

解任が決まってから急上昇し、

2年連続の優勝を勝ち取ったのは、凄い。

そうそう、今季解任された落合監督とファイターズの梨田監督、

マリーンズの瀬戸山球団社長は、1953年の生まれ。

恥ずかしながら、オレも同年の生まれだから、

この世代にとって今年は受難の年だ。


11時、

DVD「激動の昭和史、軍閥」を鑑賞。

この映画を観たのは17歳の夏以来。

流石に40年もブランクがあると歴史感も変わっていて

東條英機の立場も少しだけだが理解出来た。

これは成長と言えるのか?。


13時半、

長男がひこ坊を連れて見舞い来てくれた。

ヤツはライオンズが3位に入ってプレーオフの出場権を得たので

上機嫌。おめでとう。

そんな親子の他愛ない会話を、

ひこうき雲は、笑顔を絶やさずに聞いくれている。優しいね。

それと、過日の職場集会で病状をカミングアウトして以来、

彼女からは、幾度となく励ましのメールをもらっている。

どうもありがとう。

来てもらった序でに、売上の状況も聞きたかったのだが、

身体に悪そうなので、ヤメておいた。


16時、

看護師さんから面会者の来訪を告げられる。

てっきりスミレが来たものと思い扉に目をやると、

見知らぬベッピンさんが立っている。

果て、誰だろう?。さっばりわからない。

そしたら、見知らぬベッピンさんが口を開いた。

「ご無沙汰してます。 ○○です」。

えっ⁉。やっと気づいた、

ハナちゃんだっ!。

ハナちゃんが来てくれたんだっ!。

彼女は、感激で目にいっぱい涙を溜めている。

「あゝ、ハナちゃん。よく来てくれたねえ」。

そう言うやいなや、正面から軽く抱き寄せてしまい、

つい泣きそうに成ってしまった、オレ。

実はオレ、彼女には随分と忸怩たる思いを抱えていた。

この4年の間、何度接触を試みようとしたかわからない。

然し、意気地も根性も無いオレには出来なかった。

それが彼女の方から逢いに来てくれて、今、目の前に座っている。

それにしても随分と垢抜けて、綺麗に成ったものだ。

それとこの礼儀正しさは、なんだ!。

磨いたと言うか、日々の精進の賜物である事だけは間違えない。

それが言葉の端はしに窺える。

いやあ、嬉しかった。

今度、職場に招待しなくっちゃね。

ハナちゃん、どうも、ありがとう。

そうそう、彼女、この春にご結婚されました。

それも、この場を借りて報告させていただきます。


16時半、

さっきの興奮が冷めやらぬうちに、

今度はスミレとベーべがやってきてくれた。

スミレが来たので、つい目尻を下げるだらし無いオレ。

そんなオレがベーべにはどのように映っただろうか。

二人に病気の経緯と復帰の予定を話し、

スミレからは近況報告と相談を受けて、

この時の為にインストールしておいたエクセルで見積もりやったり

インチキ木村拓也さんに電話をしたりで、

何だか職場に戻れたような気分に成れた。

矢張り、これが何も出来ないオレの唯一のスキルなんだろうな。

ふたりを見送ってから、

スミレの歌を聴くのを忘れていたのに気が付いた。

スミレちゃん、折角練習してきてくれたのに、ごめんなさい。

今度、塩梅がよくなったら聴かせてもらうから。

ベーべも、ありがとう。

娑婆に戻ったら、担々麺屋に連れて行くから。


19時10分、

美冬とマリンが笑顔でやってきてくれた。

可愛がっている二人に逢えて、一段と目尻が下がる。

彼女等にも、とても楽しい時間をもらった。

あははっ!、と笑って過ごせた時間はアッという間、だった。

やがて面会時間が終わり、

ふたりをエレベーターの下まで送り、一件落着。


未だ彼女等の温もり残る部屋に戻った時、熱いものがこみ上げてきた。

みんな、どうもありがとう。

明日の手術は、頑張る、


お仕舞い。












2011年10月20日。

吉右衛門。



吉右衛門の闘病日誌、二日目の巻。


病院の消灯時間は21時。

昨夜は新参者であるが故に、これを忠実に守ったものだから、

午前3時に目が覚めてしまった。

さあ、困った。

今日はカテーテル結果だと言うのに寝不足ではマズイ。

そこでiPodに入れてある中森明菜を子守唄にして頑張ったみたが。

その甲斐なく、夜明けを迎えてしまった。


6時、

「眠れましたか?」、夜勤の看護師さん登場。

まさか、眠れませんでした、

と言うのもなんだから「ハイ!」とだけ応えておいた。

「8時半に、迎えにきますから、

手術着とT字帯だけで、待っていてください。

こう言い残すと脈と血圧を測って行ってしまわれた。

それから新聞を買いに行ったり、

漫画を読んだりで過ごしていると女房と娘がやってきて、

俄然、賑やかに成る。

さて、そろそろ時間。

ココでT字帯を着ける段に成って思い出した。

そうだ、そうだった。昨日若い看護師さんに剃られたのだ。

それにしてもその最中、本能的な反応が何もなかった。

と言う事はご愁傷様だが、

アチラの方は枯れてしまったのかもしれない。


9時、

車椅子に乗って手術室に到着。

待ち構えてくれていた5名の先生方に何度も何度も姓名確認をされ、

カテーテル検査開始。

自分の位置からはモニタは見えなかったが、大凡50分で終了。

さて結果であるが、残念でした。

矢張り、昨日の女医さん予言通り異常が見つかり、

手術は回避出来なくなった。


10時、

部屋に戻ると右手に添え木、

左手には点滴の針を通され身動きが封じられた。

近々、美冬とスミレが見舞いに来てくれる、

と言うので院内の床屋で、

山賊のようになっている頭を整えたかったのだが、

これは断念と成ってしまった。


12時、

昼食。 自力で箸が持てないので女房に助けてもらったのだが、

食べさせ方が、何故か上手い。

そうだ、

ウチには小さな子どもが3人(犬)も居るので彼女は慣れているのだ。

それにしても60を前にして、このザマ。

隣で娘が笑ってた。


13時、

家族が食事に出掛けたので、

松方弘樹主演の「実録大阪電撃作戦」を鑑賞して過ごす。

何だか力が湧いてきて、面白かった。


突然であるが、段々、手が痛く成ってきたので、もうヤメる。

そうそう、手術日は木曜日と成った。


お仕舞い。


2011年10月18日。

吉右衛門。


吉右衛門の闘病日誌、初日の巻。


娘の黄色ビートルの後部座席に乗って、いざ出陣。

行き先は、東京大学医学部附属病院。

ボストンバッグの中身は女房が詰めてくれたし、

オレが準備したのはiPodにiPhone、

それとついこの間までホコリを被っていたノートパソコン。

あとは漫画と小説、中森明菜のDVD。

この類を沢山用意してきて、準備に抜かりは無い。


8時半、

お世話に成る病院に到着。

手続きを終え、病室に向かったのはA棟の12階、

任意保険のお陰と幸運に恵まれ個室に入室出来た。

部屋から望む窓外は眼下に不忍池と上野の森、

遠方に霞むのはスカイツリーで、なかなかの眺望。

オレが景色に見惚れている間に女房は荷物の整理、

娘はソフトのインストールをしてくれて、

どうにか生活の準備を整える事が出来た。









9時半、

看護師さん登場。マスクをしているので素顔はわからないが、

どうやら美人さんみたい。

個室といい看護士さんとい、やっとオレにもツキが巡ってきた。

彼女から、これからの段取りやら病院の決まりの説明を受け、

一件落着。


11時半、

明日行われるカテーテル検査についての説明会。

家族同伴との事で、説明を女房と受けたのだが、

彼女の不安そうな面持ちを見ているだけで、

何だかとっても申し訳ない気持ちに成る。

どうやら、オレの検査は明日の一番らしい。

と言う事は家族も待機なので

明日も八時半に来てもらわないといけない。

何度も、ごめんなさい・・・。


13時、

食事を終えての最初の来訪者は、明日の検査を担当してくださる先生。

検査の段取りやら何やらの説明を受けた後に、

ちょっとだけ質問をしてみた。

「検査の結果で手術不要の時は、何時退院出来るのですか?」

「明後日です」

「えっ!、明後日帰れるんですか?」

意外な答えに驚いたが、間髪を入れず、直ぐに言われた。

「はい。でも経過からみて、あなたは多分ダメ、だと思いますけど」だって。

何だ、嬉しがらせて泣かせる口か。

ココで、この会話を笑って聞いていた女房と娘は帰っていった。

どうも、ありがとう。


14時、

ひとりポツネンと漫画を読んでいたら、朝の看護師さんがやってきた。

そして、開口一番、

「はーい、剃毛しましょ」だって。

「あゝ、そうですか」

と言って素直に指示に従ったのだが、

考えてみたら最近こちらの毛の方も

少々白いモノが目立ってきたのを思い出た。

ちょっと嫌だな。

それで躊躇っていたが、そんな事には少しも意に介さず、

「先生に怒られるので、ガッツリ行きますよ」だって。


と、ココ迄書いた処で心電図とX線の検査に行くので、もうヤメる。


お仕舞い。









2011年10月17日

吉右衛門。


吉右衛門の営業日誌、初めてのお使い!の巻。


「とっても喜んで頂けました!今度サンプル持って行きましょう!」

このメールをスミレから受け取ったのは、14日金曜日の正午前。

そう、前号で記したように今日は何としても営業に行くつもりであっ

たのだが、昨日からの不調で断念。

そこでスミレに、初めての単独営業に行ってもらったのだ。


今回の営業は大事な、勝負所。失敗は許されない。

彼女は既に経験も能力も、ほぼ一人前。

それでも不安が拭えないのは、彼女を過保護にしているからだろう。

というわけで、

朝から期待と不安が入り混じり、そわそわ落ち着かない。

音楽を聴いていても漫画を読んでいても、何をしていても、だ。

何と言うのか、子どもを初めてのお使いにやったような気分。

そんな思いで、何度も何度も時計を見やりながら過ごしていると、

待ちに待ったメールがやってきた。

震える手で紐解いて、

冒頭の内容を読み終えた時は、寝床で小躍りしてしまった。

よくやってくれたっ!、スミレちゃん。

オレは嬉しい。


今年のオレはズッと彼女と、喜怒哀楽をともにしている。

ピーナッツが倒れた時の夜、震災の日の帰り道で食べたジャイアント

コーン、池袋での現場の帰路での真っ暗闇の首都高速、新緑が香った

鎌倉での設営、所沢からの深夜の帰宅も楽しかった。

あとは何だろう、利根川、秩父、多摩地区への営業。売れなくても売

れなくても突撃を繰り返すオレに、彼女はいつも笑顔で付いてきてく

れる。緊張を解す意味で車中、人生いろいろを歌ってもらったし、

浅草の鮨屋では中尾涁さんと同席した事もあった。

そうそう、

あの日の夜道は格別に星が奇麗で、まさに星影の小径であった。

僅か10ヶ月足らず事を、思いつくまま書き並べただけで、

こんなにもいろいろある。

然し、肝心の営業の方はというと、未だに成果ゼロ。

本来はバンバン売って、これが飛込みの営業だっ!とみせるつもりで

あったのだが、見せてしまったのは売れないダメ営業。

滅入るんだよねえ。

この日も歓喜の後、冷静さが戻ってくると、こう思った。

案外、オレが行かない方が上手く行くのではないか、と。


そんな忸怩たる思いで過ごしていた午後、

またしても、彼女からやってきたメールを開封してみると、

こんな事が書いてあった。

「元気になったらいっぱい営業しましょう」、と。


お仕舞い。


2011年10月14日、        吉右衛門。


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