‘吉右衛門’ カテゴリーのアーカイブ

「きっと待ってたんですよッ!」の巻。中編。

房総半島の中程の位置する、木更津。

ここに評判の回転寿司屋があるというので、

千葉の自宅からやってきた。

寿司屋の話は後日に譲るとして、

この店があるのは大型ショッピングモール。

ここにわたしが利用する洋服屋も出店をしている。

昨日帽子を紛失したわたしは、一縷の望みを抱いて寄ってみた。

店長に帽子を紛失して困っている旨を話すと、

今、店に並んでいる商品は、2013の型落ち物とのこと。

確かにあの帽子を買ったのは二、三年前ではあるが、

わたしの人生。こういった場合の期待はことごとく裏切られる。

それでも、あれば嬉しい。

ちょっとしたドキドキ感をもって案内してもらうと、オッと。

陳列棚に、ちょこんと並んでいるではないか。

よかった、よかった、とは思いながらも、

これを買うと、あの帽子への裏切りになるのではないか。

それに怠惰なわたしのこと。捜査意欲をなくす危惧もある。

しかし、万が一、出てこない可能性も否定はできない。

そうなると残されたチョッキに寂しい思いをさせることになる。

そこで店長に事情を話し取り置きをしてもらった上で、

昨日割り出した、訪問先に問い合わせてみた。


問い合わせた結果は、無惨であった。

ここしかない、と、

決め込んでいた訪問先に帽子の届け物はなかった。

ため息をつく、わたし。

捜査は闇に包まれた。


代替品を見つけた安堵感と目星を付けた訪問先になかった喪失感。

複雑な思いが交錯するなか、

とにもかくにも、代替品を確保して店を後にした。


続く。


2016年04月02日。


吉右衛門。


「きっと待ってたんですよッ!」の巻。前編

帽子がない。

灰色の帽子がなくなった。

先月の12日のこと。

現場から戻った車庫の中で、帽子がなくなっているのに気がついた。

あの帽子は、2013年にチョッキと対で買った物だった。

番いで買うと仲を引き裂いたような気になって罪の意識に苛まれる。

それでも、職場に戻れば案外あるのではないか!、

そんな期待を持って自室の扉を開けるも、その姿はなかった。

困った、なんとか見つけなければ…。


実はわたし。

学生の頃は、ホームズ、と呼ばれていた学生探偵であった。

昔取った杵柄ではないが、その経験を生かして何とか見つけ出そう。


早速、捜査に取掛かった。

この日行動を共にしたスタッフから証言を集めた。

出掛けに事務所の出口であった、千葉さな子の証言。

「吉右衛門さんが灰色の帽子を被って行くのを見ました」

午前中行動を共にした、二コタマゴロウの証言。

「吉右衛門さんが帽子を被っていたかどうかは覚えていませんが、オートンの中に忘れ物はありませんでした」

午後ずっと一緒にいた、飛行機雲の証言。

「吉右衛門さんが帽子を被っているのは、車庫で会った時からずっと見ていません」

となると、考えられるのは、

オートンを下車してから飛行機雲と会うまでの間という事になる。


その考えで行くと、行き先は一ヶ所しかない。

これは案外簡単に解決できそうだ…。

これからそこに電話で問い合わせればよいのだが、時計の針は18時を廻っている。週明けにでもしてみよう。


この日の捜査は、ここで終了。

安堵感を抱いて、帰路に就いた。


続く。


2016年03月27日。


吉右衛門。


「偉大な先輩が逝ってしまわれた」の巻。


一昨日の夕方であった。

営業から戻り事務処理をしたわたしに、訃報がもたらされた。

訃報を報せてくれたのは取引先であるT社のSくん。

Sくんが勤務されている会社の大先輩であるAさんが、急逝されたとのことだった。

呆然とする、わたし。

Aさんは、わたしが尊敬してやまない営業の先輩であった。


わたしがAさんと関わりを持てたのは、昭和と平成の狭間の頃。

今思えば冷や汗ものであるが、その頃のわたしは怖いもの無しの絶頂期であった。

それゆえ、世間のみなさまには随分とご無礼を働いたかと思う。

そんなのぼせ上がっていたわたしにAさんは、時に言葉で時に態度で、いろいろなことを教えてくれた。

そのAさんが逝ってしまわれた。

わたしは可成り厳しい現実を受け止めねばならなかった。


翌日、わたしはAさんの葬儀に参列した。

式が始まる前の会場にはAさんが生前に唄われていた演歌が流れていた。そしてたくさんの写真が所々に飾られていた。

辛い現実がどんどんと、わたしに迫ってきた。

式が始まり導師入場。

お経が唱えられるとAさんとの思いでが脳裏を駆け巡った。

そして焼香を済ませ、出棺前の別れ花も入れさせてもらった。

式が終わっても葬儀場の隅っこで、立ち尽くしていた。

ここを立ち去る勇気がなかった。

いつまでもここに残っていたい気がしたが、そうもいかない。

踏ん切りをつけて葬儀場を後にした、わたしの足取りは重かった。


あれから二日が経った。

少しは落ち着きを取り戻せてきたような気がする。

それにいつもでも落胆していてはいけない。


週末はわたしも群馬に行こうかと思う。

そして元気に歌姫と、いつでも夢を、を歌おうと思う。


2016年02月28日。


吉右衛門。


「飛行機のこと」の巻。


あれは、わたしが今年の初出勤をした日のことであった。

飛行機雲が営業の同行依頼をしてくれた。

年末から堪え難い孤独感に苛まれていただけに、それはとても嬉しいことだった。

わたしの営業はプレーヤーとしてのものではない。マネージャーとしてのものだ。それだけにプレーヤーから同行を申し込まれることが嬉しくてたまらない。

さて、そのマネージャーの営業であるが、自分が目をつけた処に行く場合とスタッフに請われて行く場合とに分かれる。

前者の場合はシミュレーションがし易く、シナリオもすらすらと書ける。それだけに成功率も高いが、反して後者は難しい。余程念入りに組み立てていかないと上手くいかない。今回は後者であるだけに難しさもあるが、それでも飛行機雲の好意に応えるべく入念に作っていった。

さて、当日。

袖から勇んで出ていくも、不安が生じて仕切り直す。

そして息を整え直して出ていったわけだが、わたしの場合、ここからマイクの前に立ち最初のひと言を発するまでが勝負で、これが滑るとなかなか立ち直すことができない。それゆえ、この瞬間に勝敗の八割が決まってしまう。

この日は幸い、お客さんがよかったこともあってか上手く終えことができた。初回の営業としては及第点だったと思う。

わたしのあがりもよかったが、なによりも飛行機雲がよく補佐してくれた。たえず笑みを浮かべて和ませてくれたし、きびきびと動いてくれもした。


震災の直後。

わたしは飛行機雲に会うべく、彼女の最寄り駅へ出向いた。

そして無理を云って彼女を、ご両親からお預かりしてきた。

大きな責任を背負ったわたしは、こと有るごとに声を掛けてきた。

あれから五年。

ずいぶんと成長してくれたものだと思う。

長く仕事をしていて思うが、仕事なんてよいこともあれば辛いこともある。均して考えると概して辛いことの方が多い。

昨年は幾度となく彼女を叱ったが、腐らずに耐え忍んでくれた。

それが今年の好結果となって開花してきた。

そして昨年の暮れからというもの、わたしの方が彼女に何度も気を遣わせてしまった。

今こうしてブログを書いていると、いろいろなことが蘇ってくる。

前述した震災の直後の出会い。

初めて銀座の焼き鳥屋へ行ったこと。

真夏に営業廻りをしたこと。

一昨年の暮れ、人形町のメシ屋で誕生日を祝ったこと。

昨年、中央高速道の帰路に付き合ってもらったこと。等々。

来週は新規取引先への現場納めと二度目の新規営業が控えている。

飛行機雲の足を引っ張らないように頑張る。

いつもありがとう。


お仕舞い。


2016年02月06日。


吉右衛門。


「上海蟹と鱶鰭のスープ」の巻

十一時二十分。

開店十分前の入店となった。

実はわたし。

開店には早かろうと附近をうろついていたら女房に呼び出された。

意外だったのは、客の数。

開店前には行列などできていなかったのに、

すでに二階も含めて満員。

訊けば、ほとんどが予約客とのこと。

この人気ぶりには驚いた。

さて、料理。

家内は早々と何かのコース料理を依頼して続くは、わたしの番。

散々悩んだ末に発注したのは海老チリと青椒肉絲、そして蟹玉。

とても還暦を過ぎた老人の食事とは思えないボリューム。

そしてさらに食欲をそそられる一品があった。

それは、上海蟹と鱶鰭のスープ。

しかし、これを頼むには勇気がいる。

このような高級食材が使われる割には、料金が安すぎる。

まがい物ではないか…。

失礼ながら、そう思った。

それを古女房に云うと、

風邪が治るかもしれないから呑めという。

それでは騙されたと思って頼んでみると、

皮肉なことに、これが一番にやってきた。

初めて見る、スープは異様な色だった。

商売柄、カラーチャートで表現すると、

墨60%+紅40%といったところ。

これは呑んでもよいのだろうか…。

躊躇うものがあった。

その悩みを女房に告白すると、

男でしょっ!呑みなさいよっ。何故か、叱責された。

なんで男だと呑まなくてはならないのか。

よくはわからないが、考えてみれば、そう惜しい人生でもない。

今年もいろいろな事があった。

念願の富士山へ釣りに行けたこと。

昔の恋人のまりちゃんと何度も逢えたこと。

孫が喋れるようになって、会話ができたこと。

これ以上長生きしても、もうペンキ屋には逢えないこと。

こうして振り返っても、

この世に未練があるかと云えばないような気がしないでもない。

それに何かあっても、

四十年連れ添った女房の前となれば、それでよいのではないか。

勝負に出ようっ!。

そう決めて口をつけてみると、これが美味いのなんのって。

桃源郷にでも行かないと手に入らないような味。

いやはや。病み付きになりそうだ。

こうして後続の料理を鱈腹食べて、一件落着。

出産前の蛙のような腹を抱えて、店をあとにする。

お仕舞い。


2015年12月15日。


吉右衛門。


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