‘吉右衛門’ カテゴリーのアーカイブ

「ペンキ屋が帰ってきた」の巻。下編。


日本橋人形町。

オートンから降りて交叉点に立った。

お彼岸を過ぎて一ヶ月近く経つと日は暮れている。

間もなく、待合せ時間だ。

彼女は来ているのだろうか…。

彼女の出で立ちは個性的だ。

私の視力でそれを捜し出すのは難しかった。

そこで電話を片手に握りしめていると、「社長!」。

何処からともなく、彼女が現れた。

まばゆいばかりの、笑顔であった。

髪の毛はまっ黒で、奇麗にとかしてあった。

服装はシックであか抜けていた。

灰色のニットと黒のスカートの調和がとても似合っていた。

ひと廻りもふた廻りも奇麗なお姉さんになっていた。


店に着いて向かい合うと、幸せ感がこみ上げてきた。

彼女は笑顔も喋り方も以前と同じだった。

そして、いろいろな話をしてくれた。

文化から始まって、生活様式、言語、国境、人種…等々。

話は多岐にわたっていた。

私のように少年期から青年期を、1$=360円の時代に育った古い世代にとってはどの話も新鮮で面白かった。

同じようなことを何度も訊き直して説明してもらった。

私のピュアで小さな胸は、ワクワク感で埋め尽くされた。


鍋が出てきた。

すると彼女はすかさず腕まくりをして給仕を始めた。

お姉さんになったものだ。

それを言うと、あちらでは炊事が必需だったという。

彼女は一年の間に多くの事を学び、体験出来たのだと思う。

まさに人生の宝物を得て帰ってきたのだ。


何から何まで楽しい夜を過ごさせもらった。

このようなお嬢さんが社内にいたのかと思うと胸が熱くなった。

どうもありがとう。


お仕舞い。


2014年10月26日(日)

吉右衛門


※時間の関係で下書きのままでの更新となっております。

誤字脱字、またブラウザーの違いによる不自然な改行等に関しまて

も寛大にご処理くださいませ。


「ペンキ屋が帰ってきた」の巻。中編。


逢いたい気持ちが募り始めた。

いろいろな話を訊きたくなった。

異国での話。

未踏の地での奮闘話。

また文化や歴史、そして民族についても訊きたかった。

しかし、躊躇いがないわけでもない。

誘えば彼女のことだ。応じてはくれるだろうが、その気がなければ気の毒だ。それについ先日まで散々思案して、静観すべし、と結論づけたこともある。

自分のなかで欲望と理性の壮絶なる闘いが始まった。

冷静なもう一人の自分がその闘いを観ていたら、あっけなく勝負がついた。欲望が理性をねじ伏せたのだ。静観すべし、と決めた己の意思の弱さには呆れるばかりだった。


勇気を出して、逢いたい、と告白してみた。

返信は直ぐにきた。

時差で安定していないという。

可哀想な気がした。

浅はかだった。

矢張り、告白すべきではなかったのだ。

忸怩たる思いに苛まれたが、きっぱりと諦めることもできた。

私の頭の中は魚釣り一色に戻った。


秋も更け始めた今月の十日頃、私は病に臥せていた。

そんな私を知ってか知らずでか、彼女からメールがきた。

安定してきたので出てきてくれるという。

すっかり諦めていただけに、素直に嬉しかった。

それから数本のメールを交わし、日時と場所が決まると何故か、私の喉はからからに渇いていた。


続く。


2014年10月25日(土)

吉右衛門


※時間の関係で下書きのままでの更新となっております。

誤字脱字、またブラウザーの違いによる不自然な改行等に関しまて

も寛大にご処理くださいませ。


「ペンキ屋が帰ってきた」の巻。上編。


待合せ場所である日本橋人形町の交叉点へ向かうオートンの車内、私の胸は張り裂けんばかりであった。

この日の私は朝から妙に落ち着きがなかった。

歯の治療を受けていても、鮨屋で昼メシを食べていても、どこか上の空だった。


あれは夏が終わった九月の初め頃かと記憶している。

自宅のパソコンに一通のメールが届いた。

差出人は見慣れぬ横文字の人物だった。

超老眼の私の目ではその文字を判別するのは難しい。

誰であるか…。

開封してみると直ぐにわかった。

ちょっと驚きはしたが、メールの主はペンキ屋であった。

一年前に西洋へ勉学に行くため退職して旅立った、まぎれもない彼女からだった。

内容は、「昨日帰国しました」から始まる淡白な文章だったが、彼女の笑顔を想像するには充分足りていた。


何を思ったか同じ文章を三回も読んでしまった。

ため息をついて返信について思案してみた。

今の私は直ぐに返信できる器用さはない。

それに返信を認めるには躊躇いもあった。

そこで取り敢えず、「お帰りなさい。後日改めて返信します」

とだけ書いて返信をしておいた。


私は子供だった頃から常に何か考え事をしている。

次回の魚釣り、それに付随する紀行文の構成。そして仕事にも可成りの時間を割く。そのなかに彼女への返信が割り込んできた。

私は彼女が退職するにあたっては、しっかりと送り出したつもりだ。自ら幹事を引き受け連夜の送別会を取り仕切った。

私のボーヤを長く努めてくれた彼女との別れだっただけに、強烈な辛さを感じたが、それも今では解消しつつある。

それに立場上、私が一番大切にすべきは現役で汗を流してくれている社員のみなさんだ。それを忘れてはならない。

また彼女にしたって、私から「逢いたい」と言われても困惑するだけだろう。

彼女は退職間際に私との日帰り旅行に付き合ってくれた。

あれは彼女なりのケジメだったのではないかと思う。

そう考えうると、静観すべし、と己に言い聞かせた。


続く。


2014年10月24日(金)

吉右衛門


※時間の関係で下書きのままでの更新となっております。

誤字脱字、またブラウザーの違いによる不自然な改行等に関しまて

も寛大にご処理くださいませ。


お詫びです。


ブログメンバー各位。


大変申し訳ありません。

今月は公私とも多忙で、記事を書けませんでした。

したがって、更新も出来ません。

次月は頑張りますので、どうぞ寛大に対処くださいませ。


2014年08月24日

吉右衛門。


大手町の朝。


気象庁より梅雨明けの宣言がされた日。

私は早朝に仕事で日本橋界隈にきていた。

そして仕事を終え時計をみると、まだ七時半。

この後、珈琲屋にでも入ってモーニングを食べる予定だったが、

何故か不意に皇居が見たくなった。

気まぐれなものだ。

そして皇居に向かって、

とぼとぼと歩いていくとモニュメントを見つけた。

モニュメントには、「絆」の文字が刻まれている。

また、その隣には歴代の優勝校名が彫られたの板があった。

ここでやっと気がついた。

ここは正月の箱根駅伝のスタート地点、讀賣新聞社の前であった。

毎年駅伝競走は楽しみに視ているが

スタート地点に来たのは初めてだった。

更に歩くと、平将門の首塚の碑があって、

幾人ものサラリーマンが入れ替わり参拝をしていた。

ここは過去にも通りがかったことはあったが、

このような時間に訪れたことはなかった。

私もつられて手を合わせ頭を垂れていると、

背後からラジオ体操の音楽が流れてきた。

どうやら近くに工事現場あるらしい。

時計とみると、八時。

歩き出してから三十分しか経っていないのに、

貴重な経験をした朝だった。


お仕舞い。


2014年07月26日(土)。

吉右衛門。


ごめんなさい。

時間がなく、やっつけで書いてしまいました。

お詫びと言っては何ですが、写真を掲載します。

iPadで撮った写真です。

出来はまずまづでした。


オマケ、

写真上から、

駅伝のブロンズ像。

歴代の優勝校が刻まれている板。

平将門首塚の碑。

同上。

工事現場。












































































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