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「栄冠は君に輝く」の巻、後編


第100回全国高等学校野球選手権大会。大阪桐蔭高等学校(北大阪)と金足農業高等学校(秋田)の試合が始まった。


スタンドの応援は日本人特有の判官贔屓とでもいうのか地元、大阪桐蔭よりも金足農業の方に圧倒的、多く感じられる。やはり観客の多くはエースの吉田くんの頑張りと、ここまでのドラスティックな勝ち上がり方に魅せられているのだろう。


さて試合。

金足農業は序盤からエースの疲労に失策までもが加わって苦しみながらも、どうにか持ちこたえてきたが中盤になるともういけない。プロ注目の大阪桐蔭、根尾くんに本塁打が飛び出し一方的な展開に。そしてそのまま波乱もなく試合終了。大阪桐蔭の強さばかりが目立った試合だったが、勝ち負けよりも全力を出して戦った選手を讃えたい。そして監督、コーチは無論のこと、残念ながらベンチには入れなかったがスタンドで声を枯らして声援を送った野球部員、そして三年間、その選手に一生懸命、お弁当を作って我が子を励まし続けたご両親。その辺りにまで思考が流れると、何やら得体のしれない感情が湧いてきた。


試合が終わると閉会式。

司会を務める地元の高校生の進行でお偉いさんの挨拶、真紅の優勝旗の授与等が滞りなく終わると、司会のお嬢さんが、「これから大会歌の合わせて優勝チーム、準優勝チームが場内を一周します。スタンドの皆様も一緒にお歌いください」と粋なことを言ってくれる。この大会歌、「栄冠は君に輝く」を歌わしてくれるそうだ。


わたしも立ち上がり、♪ 雲はわき 光あふれて…… からの歌詞を誰に憚ることなく大きな声で歌う。

そして選手が目の前に来た頃にはもういけない。感動、感動また感動で涙がとめどもなく流れてきた。


改めて感じた。甲子園は途轍もなく凄いところだった。

吉右衛門、六五歳の夏。


平成30年10月8日

吉右衛門


おまけ

写真を並べます。

上から、球場、夏雲が浮かぶ満員のスタンド、大盛り上がりのアルプススタンド、入場券、帰路に寄ったお好み焼き(お店のお嬢さんがマヨネーズで通天閣を描いてくれた)。



「栄冠は君に輝く」の巻、中編


人生初の甲子園球場へやってきた。入場券を持ち合わせていないのにだ。

実はわたし。昨夜までベッドの中でゆくかゆくぬか、ずいぶんと悩んだ。頭の中の上皿天秤が上がったり下がったりを繰り返した。では何が決め手となったのか。入れなくてもよいから甲子園球場を味わいたかった。阪神電鉄にも乗ってみたかった。さらに球場内の施設である甲子園歴史館を見学したかったことにある。


やはり甲子園球場は独特の雰囲気がある。

しかも今日は決勝戦。盛り上がりかたも凄まじい。で、球場の周囲をとぼとぼと歩き廻ってから歴史館へ入ろうするも、入り口がごった返していてとても入場する気にはならない。これには当てが外れたが、まあよい。待望の甲子園にもきたことだし、試合の方は宿へ帰ってTV観戦しようと駅へ向かいかけると、先ほどは気づかなかった行列ができているではないか。訊けば内野の当日券を求める列だという。それを聞くや否や列の後方に並んだが、残念でした。そううまくはゆかない。拡声器も持った係員から並んでも入手はできない旨を聞かされる。で、諦めて列を離れると何処かへ走る人の群れに出くわす。それは外野席を求める人々だった。


外野席に入場。

すでに満席に近いなか、ベンチの中ほどに三席分の空間を見つけて着席。やれやれと隣の空間に鞄を置いて、ひと息つく。空を見上げると紺碧な空間に夏雲が浮かぶ。ここに甲子園の原点を感ず。

原点を感じたのはよいがプレーボールまでは二時間以上もある。このすし詰状態の炎天下で、どう時間を潰すかを思案していると隣の空席にひとりの中年ファンが現れた。そして着席するやお友だちに連絡をとっている。どうやら離れ離れで観戦するハメになっているようだ。

「あのお、よろしければこの鞄を足元に置くのでお友だちを呼んであげてください」。会話を盗み聞きしたようでバツが悪かったが、言ってみるものだ。ずいぶんと喜んでくれた。そして新たに現れたご友人も含めて意気投合。野球談義に花が咲き、二時間などあったいう間に過ぎ去った。


後編に続く。


平成30年9月30日

吉右衛門


お詫びです。

今回で終わらすべく前回よりマウスを動かしてまいりましたが、駄文に駄文が重なり終えるには至りませんでした。で、もう一週いただいて締めようと思います。だらだらとごめんなさい。


「栄冠は君に輝く」の巻、前編


わたしの野球観戦歴は長い。

いつの頃からこんなにも好きになったのかを辿ってゆくと、1962年の大毎オリオンズとの開幕戦に行き着いた。


1962年…。

遠い昔である。指を折って数えてみると、かれこれ半世紀以上の歳月が流れている。


贔屓球団は東映フライヤーズ(現北海道ニッポンハムファイターズ)。ファイターズになる前のフライヤーズの後期は、わたしの人生で最も血気盛んな時代。関東近郊での試合のすべてを生で観戦していたし、それだけでは飽き足らず、私設応援団にも入れてもらって本拠地、後楽園球場(現東京ドーム)で球団旗の大旗を振りながら声を枯らしていたことさえもある。それだけに己でいうのも何だが筋金入りのファイターズファンである。


いきなりプロ野球の話から書き始めたがこれからマウスを動かす高校野球はというと、こちらの方は大したことはない。生で観たのは高校時代に母校の応援に神宮球場へ駆けつけていたのと、家族旅行で郷里の高知に行った折、春野球場で決勝戦を観戦したくらいで、あとは本大会に出場した高知勢をテレビの前で応援するくらいだった。しかし御多分に洩れず、かつては野球王国として名を馳せた高知県も近年は越境入学選手を主流とした私学の独壇場と化し、こちらの方の熱は冷めつつある。


その高校野球に今年は久方ぶりに高知商業が本大会に出場する。で、その動向に気をかけていると決勝戦がわたしの関西旅行に当たることに気がついた。高知商業が決勝戦まで勝ち残るか否かは別として、俄かに決勝戦を生で観戦したくなった。


しかし、そうは問屋が卸してくれない。近ごろ世情に疎くなったわたしは、まったくもって甘く考えていた。高校野球の人気が近年加熱しているとは知らなかった。それを知ったのは日課としている朝のラジオ体操の時。周囲との雑談の中で入場券の入手が困難であることを知るに至った。これには驚いた。もっと早く知っておれば手を打っておいたものと悔やんでも仕方がない。そこで遅ればせながら残り少ない入場券の入手方法を調べてみると、二日前にネットでの販売があるという。もはやこれに賭けるしかないが困ったことにその日は関西へ移動する日でもあるのだ。それでは、と二人の方に購入の代行を依頼したが、日頃の素行の悪さが祟って新幹線を待つ東京駅に(悲報)が届いた。


ダメであったか…。

これによって決勝戦を観戦する計画は、あえなく泡と消えた。


後編に続く。


平成30年9月24日

吉右衛門



あとがき


あの日は楽しかった。

その楽しさは今年、一番だったのではないかとさえ思う。

ペンキ屋(ハンドルネーム)と遊びに行ったのは二度目で、以前にも鎌倉から江ノ島とへ日帰りで周遊したことがある。あの日も暑かった。夏の真っ盛りだっただけに、今年の猛暑を考えると誘うのにも躊躇いも感じたが、連絡をすると、二つ返事で応諾してもらえた。

そうなのだ。彼女はそういう奴なのだ。


ペンキ屋との出会いは忘れもしない二〇〇七年の春。

光陰矢の如しで、かれこれ十一年の付き合いとなる。彼女の採用を決めたのはわたしで、しかも我を通しての採用だっただけにその責任は重く、入社した当初は叱ってばかりの日々だった。それだけに頭を抱える日の連続であったが、二年目からは徐々に力を発揮してくれ在職中は疎か職場を離れた今も職場に力を与えてくれている。御多分に漏れず手を掛けた子が頑張ってくれている姿をみるのは管理職冥利に尽きる。


それにしてもこの日の彼女の明るさと饒舌さはどうだ。昔あった上下関係などはとっくに取り払われ、人懐っこくあんな話こんな話を笑顔いっぱいにしてくれた。ほとんど聞き手に回っていたわたしは、猿島よりペンキ屋を満喫したのではなかろうか。


先週、彼女は生活の基盤である西欧へて帰っていった。

わたしは彼女の幸せを祈ってやまない。


平成30年7月晦日

吉右衛門


追記

あの日の興奮冷めやらぬまま、続編を後書きとして添えてみました。

が、しかし、だらしないのは相変わらずで今回も更新日に遅れる始末。

しかもいつもと同じく未校正のままの更新となってしまいました。

どうか誤字脱字、文脈の乱れに関しては寛大に処してくださいますようヒラにお願いします。



「猿島」の巻


猿島は横須賀港の沖に浮かぶ無人島で、島の周囲を散策しても二粁にも満たない小さな島だ。

わたしがこの島の存在を知ったのは今から半世紀以上も遡る小学生の時で、臨海学校の帰路にガイドさんから、「あれは猿島」なる説明を受けたことだ。それを今でも鮮明に覚えているのはその奇妙な島名からかもしれない。そして二度目は一昨年の初夏に当時のアシスト、千葉さな子の働きで横須賀の街へ仕事で来れた時。営業が終わり船の甲板から眺めた景色に、鬱蒼とした樹々で囲まれたこの島を見つけ、半世紀前の記憶が蘇ってきた。


今月の始め、わたしは齢六五を迎えた。

近年、二度の大病を経ただけに、おのれが未だこの年齢になっても頑張れていることに驚いている。だからと言うわけではないが、ここ数年は節目としてこの日の前後に何かをするように心掛けている。三年前は待望の西湖で釣り糸を垂らしたし、一昨年は前述した横須賀港で待望の営業をすることができた。そして昨年は京都で天下分け目の天王山へも登った。で、今年はと言うと、いろいろ考え悩んだ挙句、この猿島へ渡ってみようかと思った。

島へ渡るには港から出ている渡し舟に乗らねばなない。この舟は毎時30分に出航しており乗船してからは10分程度で島へゆくことができる。


10時。

船着き場に到着。

夏シーズンの人混みを考慮して早速、乗船券を買い求めに窓口へ出向くがそこには未だ誰もいない。が、受付の女性から次の便は団体さんが乗船するとかでかなりの混雑が見込まれると告げられた。そう言われても周囲の状況が状況だけに俄かには信じ難かったが時間を潰して戻ってみると、なるほど学生さんと思われる若い方々で乗船場はごった返していた。それでも何とか乗船し、海風にあたりながら周囲の光景に目をやるも、残念なことに楽しむ間も無く桟橋へ到着。あっという間に島へ着いた。


10時40分

上陸。

さて蝉の大合唱に迎えられ、これから猛暑をついて小高い山を持つ島の探索をするわけだが、残念なことに今年は体調が悪い。まずはぎっくり腰から明けたばかりだし、ここ数ヶ月は高血圧にも悩まされている。だが、昨年、京の天王山へ登ったことが自信となってわたしを支えているし、老いたりとはいえ、わたしもニッポン男児の端くれ。この程度のことで、へこたれるわけにはいかない。そんな意気込みで歩き始めたが、何と言うことはない、息が乱れるこもとなく、最終地点に到着。これには拍子抜けした。

…。


ずいぶんと駄文を長々と書いてしまった。あまり長いと読み手の方々に迷惑をかけるし、書き手の方もそろそろ飽きてきた。で、ここからは写真を並べて今回のブログを終えようかと思う。

ご存知のようにこのおんぼろブログに写真を掲載するのはひと苦労する。であることからして最初に写真の内容を説明しておく。島の外観写真から始めて渡し舟、案内図、隧道、壁面、展望台から眺めた風景。そして最後に会心のショットを載せてようかと思う。このショットはこの数年に撮った写真の中で一番よく表情を捉えることができた。よろしければ感想などを書いてくれると有難い。


平成30年7月21日

吉右衛門


今回も最後までお読みいただきまして、ありがとうございました。

だらだらと長文を書いてしまったので例のよって校正をせずの更新と相成りました。であるが故に誤字脱字、文脈の乱れは寛大にお願いします。






































































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