晴天後曇り。
水温11度 満水 澄み。
三島湖 魚屋下。
ともゑ釣舟店より出舟。
江戸の仇を長崎でとった。
〜最後は何がなんだか分らなく成ってしまった。〜
不覚にも午前三時半に起床の予定が、零時に目が覚めてしまった。寝床でブツクサ言い乍ら時間を潰し、寝付けたのは出発三十分前。アラームで何とか起きたが、夢遊病者の様な状態。頭痛に吐き気迄している、そんな状況でも出掛けようとする自分が理解出来ない。
この情熱が仕事に向けば不況も怖くないのに・・・・・。
午前四時、頭に白い靄がかかった様な状態で出発。
行き先は、今回も判を押した様に三島湖ともゑ釣舟店。
先日、履歴を調べてみたら、今回の釣行は通算62回目で三島湖行きは50回目、利用先は、ともゑ釣舟店.46回、高島屋釣舟店.2回、石井釣舟店と渡辺釣舟店.各1回、房総ロッジの門を叩いた事は未だに無い。
何で、この様に偏るのだろうか。理由は己の性癖に有る。
食べモノも寿司、天麩羅、豚カツ、中華、パスタと何でも好んでも食すが、行きつけの処は全て1〜2件しかない。
頭も20年来同じ床屋職人の世話に成っているし、毎週行くマッサージの先生も同じだ。
美味しいモノはすすめてほしいが、美味しいでしょう、とは聞いてほしくない。不味いです。と云う勇気はないのだから・・・。
だから、どんなに美味しいモノを出してくれても気難しい親方の店には行かないし、横柄な態度の職人の処に立寄る勇気は持ち合わせていない。
五十を過ぎてから、この傾向が特に顕著に成ってきた。これは多分、安心を求めていると云うか不快な気分に成らない事への備えなのかもしれない。
ともゑの若旦那は、ご自身の釣りを語らない。餌の作り方も仕掛けもだ。出舟した舟が桟橋に帰舟した時の釣果は、毎回、オレがビリだと思う。陸に上がった時に、そんな自分の一日を、笑顔で聞いてくれて今度はこうすれば良い、とかを一切口にしない。コチラも云われると、それを実行しなくてはならない義務感を負ってしまうし、出来得る技術もない、だから云われると困る。
自分だって一応は釣りに来ているのだから、釣果も残したいし、釣技も上達したい。しかし、才能が欠如しているのと、大して努力もしないわけだから、ほっといてくれるのが一番良い。それでも、下手な鉄砲ではないが、何故か分らずに釣れる事が稀に有る。そんな時は本当に笑顔で喜んでくれる。
その辺りの暖かさ、と云うか接客が実に絶妙なのだ。
故に、自分は釣舟屋の選択が優先順位の一番に成るので、ともゑ釣舟店から漕いで行ける範囲が自分の三島湖での200海里エリアに成る。
午前五時三十分、ともゑ釣舟店到着。
今回は、前回お会い出来なかった番頭さんに会えたので、先週から再開した旨を話し新年の挨拶。
今年も宜しくお願いします。
さて、今日は何処に舟を着けよう。
桜が少しでも咲いていたら、川又か広瀬にしようと思ったが蕾のままだった。然らば今週も豚小屋で良し、と漠然と思い桟橋へ。どうやら本日の出舟は6艘みたいだ。
早くも舟上で用意をしているK名人に表敬訪問。行き先を尋ねると、三ツ沢との亊。他の舟は何処を目指すだろう。
午前六時出舟、1艘は上流へ、そして3艘は豚小屋を目指している。この瞬間に看板升は売切れ御免。入釣場所に溢れてしまった。では三ツ沢でも目指すか、と思うもK名人が行くと聞いてしまった以上、先に行くのは拙いだろう。ゆるやかに漕いで名人が来るのを待ち、後塵を拝し乍ら三ツ沢へ。
名人は二番目の揺れ止めロープに着舟し、入口の揺れ止めへの着舟を勧めてくれた。しかし、先ほどから、風が気に成る。
そうなのだ、本日は前回仕掛けがクチャクチャに成った反省から振込の練習もするのだ。それにはこの風は大敵に成りそうだ。風を理由に丁重に辞退して下流へ向う。
あてのない、ひとり旅に成った。
本日、三島湖の最下流で糸を垂れるのは自分だ。
そう考えるとワクワクしてくる。
折角だから、体の向きを進行方向に向けてのんびりと櫓を漕ぎ乍ら考える。――――さて、何処に行くか、大オダと桟橋の間、宮下、中央ロープ。何処も中途半端な気がして気乗りがしない。そうだ、それならば、魚屋下にしよう。
彼処は風にも強そうだし餌打100分、釣果5枚程度の人気薄の場所だ。なんなら釣果零だって構わない。そうしよう、そうしよう――――桟橋を越えたあたりで結論が出たので、大きく取舵を切って着舟。魚はおろか生き物の気配もない。
しかし、なんか良い感じ。昨年釣行記で、この場所を雷魚の住処と記した亊を思いだした。
22尺を出しての仕掛け作りに励んでいると、桟橋でリフトが動く音。振り返ると人影。何処に行くのかと注目していると、こちらに接近して来て、おはようございます。この御仁、大きくて明朗な挨拶は良いが、何やら不気味な動き。オイオイ自分の2m位の隣に着舟を始めたぞ。これには参った。こんなにも広い三島湖で、見知らぬ男同士が二人で肩を並べる必要はないだろう。思わず、下手で振込が侭ならないから仕掛けが絡み迷惑をかける、旨を話したら隣の升に移動してくれたが、「ここは浅いから駄目だ」「お宅の場所に入らないと釣れない」等と言われてしまった。――――なんかなぁ。自分が先に舟を着けて居たのに・・・・・。何でこんな亊を云われるのだろう。今度何か云われたら、場所を譲って宮下へ移るぞ―――― 落胆していると、この御仁、桟橋の方へ移動して行ってくれた。助かった気もしたが、なんか後味が悪いなぁ。意気消沈。
七時二十分、仕掛けが出来た。気をとり直して第一投。
目標は ――――餌打100分で魚信を出す事、魚は10匹も釣れれば良い―――― こんなカッコ良い科白を口にして、黙々と餌打っていると、七時四十分、何の前触れもなくあっさりと釣れてしまった。
江戸の仇を長崎で打てた感じ・・・・。
とは言いつつ、あまりの呆気なさに嬉しさ半分の複雑な思い。
ここから三十分は浮子がピクリとも動かず。どーやら魚屋下に居た唯一の魚を釣ってしまった様だ。そうなると、緊張は緩みアクビ迄出る始末。ぼぉーっと睡魔と寒さと戦い乍ら餌を打っていると、やって来ました、放流へら。
誰にでも分る明確な魚信で八時五十分迄八枚を釣り上げた。
そして九時ジャスト、必殺のダブルで10枚の目標達成。
ここで大きく目標の上方修正。昼のサイレン迄に二十枚、そして納竿時間を十四時半に設定して最終釣果は三十枚。
九時三十分、魚が巨大化して来た。浮子がドォーンと沈んで尺弐寸、次も尺弐寸、また尺弐寸、今度は尺参寸かな?、測ってみたいし写真も撮りたい。こんな欲望が湧いて来た。
然し、撮れば魚は居なく成るぞ。うーん、長考一番。
誘惑に負けた。背後の荷を片付けて撮影用の空間を作り撮影開始、ここで些細なアクシデント、舟の側面の陰が邪魔をして写真が撮れない。しかもフラッシュの焚き方は忘却の彼方。七転八倒して、なんとか撮影終了。
後悔の時間がやって来た。案の定、魚は居なく成った。
ロスタイム20分は幾ら何でも長過ぎた。そしてそんな行為が凶と出て十時半迄浮子は微動だにせず。
餌を切って竿を上げると、時々魚にあたる。魚の泳層が変わったのかな?、だとしたら竿を替えないと・・・。いやいや、もう少し様子を見よう。いつもの優柔不断。完全な膠着状態。
そして自問自答に決着がついて16尺を出したのが十時五分。
期待通り。餌打数回で目の醒めるの様な魚信。釣れたのは尺弐寸、してやったり。舟上で微笑む。
さぁ、サイレン迄に20枚迄の残りを釣るぞと意気込むも、アレっ、何も無し、十一時二十八分、無情にもサイレンの音。
またも膠着が始まる。魚信はフワっとした弱い動きのみ。
これでは合わせられない。ここ迄、釣れた魚は17枚。
20枚は遠くに行ってしまった。
十二時十五分、再度の竿替え。期待を一心に担って出したのは18尺。この18尺君、期待に応え、餌打数回で尺弐寸を釣り上げた。本日三度目の、してやったり。又も舟上で微笑む。
なんか相撲のリプレイを見ている様な感じ、ここから又も膠着状態に陥る。
どうすれば良いのだ。問題は餌か仕掛けか、何だろう。
頭に疑念が生じて来た。魚信に力感が無い。もしかしたらワカサギかもしれない。そうだワカサギなのだ。だから針にかからないのだ。勝手に決めつけた瞬間、ふわっとした先ほど来の魚信で釣れたのは9寸。なんだ鮒だった。
うーん、ますます分らなく成って来たぞ。
駄目だ、対応出来ない。
ここからは、半狂乱に成ったが如く、魚信と云う魚信全てに竿を動かしたが、空振りの山。然し、なんとか針に二枚かっかてくれて、釣果合計は21枚。
キチンと魚信に対応出来ずに闇雲に竿を振るのはやめよう。
十四時十五分。ギブアップ、納竿。
お仕舞い。
後記。
思いがけず、魚屋下に入釣し一日遊んで来れた。
タイトルの「江戸の仇を長崎で・・・・」は、本来の意味と少々異なるかも知れない。まっ半分洒落で書いている釣行記なので文句は言われまい。
餌打100分云々は、前からやってみたかった釣りだ。結果はサッさと釣れてしまったのと、魚をやっと寄せた、との苦心の思いが無かったのが残念。
然し、次回も季節ハズレの人気ポイントとか、昔日の名場所に入釣するのも良い。
撮影をした亊で釣果は下落したが、していなくても精々プラス2枚前後だったと思う。
後半のワカサギかと思った魚信への対応は自分では全くの不能。手に負えず・・・・・。
最後に、早朝隣に着舟を試みた御仁に対し、不快な思いをさせたとしたら反省が必要。少なくとも自分が借り切っているわけではないから拒絶出来る権利は無い。
まだまだ人としての器量が無い。
22尺 16枚(07:20-11:00)。
16尺 1枚(11:05-12:10)。
18尺 4枚(12:15-14:15)。
合計 21枚。
7寸半〜尺弐寸五分。
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