吉右衛門へら鮒釣り2011
◎第陸回釣行 08月15日(水)
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戸面原ダム。
馬ノ背。
戸面原ボートセンター。
晴天、風。
気温30度、減水5.1m、水温27度、水色澄み。   

馬ノ背彷徨、の巻。

今日は終戦記念日。
今年もこの日がやってきた。
毎年この日を迎えるたびに思うのだが、お国の事情で戦地に赴いた人が今の日本を見たら、一体どうに思うのだろうか。
そんなことを思うと、何やら後ろめたさを覚える。
私は大東亜戦争の二次体験者であるが、祖父が国家公務員として朝鮮半島に赴任していたこともあり、終戦後、対馬海峡を漁に出るような粗末な船で引揚げてきた話などを、幼い頃から聞かされて育った。まさに、生き地獄であったという。
また就学してから受けた教育の中でも、
「教え子を再び戦地に送るな」の言葉は何度も聞いた。
私が成人する頃までは繁華街に傷痍軍人がいたし、パチンコ屋でも軍艦マーチが鳴り響いていた。
そんなことも今では過去になりつつあるが、我が家でも、母親の長兄はボルネオへ出征したし、祖母の長兄に至っては日露戦争の激戦地二〇三高地で最期を遂げた。
1.997年夏。
可愛がってもらった祖母が亡くなった三年後。
私は、土佐にある祖母の故郷を訪ねた。
高知県安芸市穴内。
その町は市内から西に数キロ離れた所に在った。
「私は醤油屋の娘でね。近所には郵便局があって、颱風が来るたびに山へ逃げたのよ」
幼い頃に祖母から聞かされたこの話だけが頼りの探方だった。
しかし、見つけ出すのは容易だった。土佐湾に沿って車を走らすと郵便局に出くわし、醤油屋は存在しなかったが、傍に祖母が嫁ぐ前の姓、「有光」の表札があった。親戚がいたのだ。
そして自分が有光熊枝の孫であり生後三歳まではココで育ったことを話すと、懐かしがってくれ、祖母の若かりし頃の話に花が咲いた。
いい供養が出来たと思った。
そして別れ際に案内してもらったところには、
「陸軍歩兵少尉正八位勲六等功五級 有光寅吉碑」と、戦功を讃えた立派な碑が存在した。祖母が話してくれた通りであった。
当時と今では教育が違うので軽々しくは言えないが、みな戦地へ赴く時はどのような思いであったのだろうか。
正午は黙祷の時間だ。
今年も西の空に向かって、黙祷をしたいと思う。

今回も、底釣り擬きに挑みたいと思う。
竿は戸面原ダムの馬ノ背で出すつもりだ。
前回、思わぬ展開で底釣りに挑んでみたが、なかなかであった。
そんな底釣りを今まで敬遠してきたのには、理由(わけ)がある。食わず嫌いもあるが、理屈が飲み込めていないのだ。
そもそも湖底は平坦に舗装されているわけでも、Pタイルが貼ってあるでもない。至る所が凹凸に成っている筈だ。そんな湖底を測るなんてことはとても出来ないし、神業にさえ思えた。
それが敬遠してきた大きな理由だが、前回、擬きではあるがやってみたら意外と面白く、それに味を占めたこともある。
今回も、擬きでも何でもいいから、底釣りをするのだ。

午前五時半。
戸面原ダムに着いた。
お盆休みの混雑に備えて朝の出舟時間に来てみたのだが、無駄であった。既に駐車場は多くの車で埋まっていて、事務所側、桟橋側だけでなくその中央にも車が溢れていた。我が戸面原ダム釣行史上で一番の混雑ぶりだ。今日は例会が無い筈だから、これはすべてフリーの客ということになる。そこでオレはというと、隅っこの空きスペースに何とか駐めさせてもらった次第だ。
ココの桟橋開きは公称時間より十五分早い。故に、出舟は既に終了していてボートセンターの管理人、相沢さんは見廻りに出られているらしい。
そこで店に入り、奥さんに支払い方々、
「今日の人数は四十人くらいですか…?」、と尋ねたら、
「そんなには居ないです…」と謙遜されつつも、その笑顔がほくほく顔に見えたので、当たらずと雖も遠からずなのだろう。
さて、そうこうしていると相沢さんが戻られたので、馬ノ背への入釣希望を申し出ると、残念でした。
先客が二名いて既に、一級ポイントは売り切れたとのこと。
──売り切れたか…。
残念ではあるが、
「一級は駄目でも二級があるさ」と高を括って桟橋へ降りる。

午前六時。
天気晴朗波ハ凪。
猛暑が予想されるなか、桟橋より出航。
大多数の釣り師が本湖・上郷へ進むなか、川筋方面へと向かう。
そして数分漕いで、馬ノ背に到着。
随分と水が減っている。
そして、その減りようは可成りのもので、前回(減水2.9米)の帰路に立ち寄った時とはまるで景色が違う。前回は満水時と比しても立木の数が増えた程度であったが、今回は馬ノ背の背の部分がはっきりと露呈してきて、島となっている。そしてその島を囲むかのように立木が生え揃っているから、何処にでも舟は容易に着けられそうだ。
そうそう、前回の撤収時に今回の為に写真を幾枚も撮ってきたのだが、こうも景色が変わると何の役にも立たない。そこで次回の為に一級ポイントまで出向き写真を撮らせてもらったのだが、ご当人は一級ポイントとは知らずに着舟したようで、何とも運のよい方だった。
さて、これから着舟場所を選定するのであるが、その前に周囲の状況を把握したので、その配置状況を書き留めておく。
先ずは馬ノ背のトンネルワンド側にある本命と準本命ポイントに二名。馬ノ背の竹柵奥側に二名。そして杉林にも二名居て、オレを含めた七名がココら辺一帯に散開する。そして遠く離れた宇藤木橋の手前にも一名いたようだから、本日の川筋方面の釣り師は八名と言う事になる。

釣行記写真
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馬ノ背の位置と釣り師の配置図。
私が舟を結ぶ前のもので、先端の突起物は竿のつもりです。
次回よりイラストの精度もあげるべく努力します。

さあ、何処に舟を結ぼうか。
一頻り思案して、馬ノ背の鎌の鼻寄りの立木に決めた。
(文末掲出の地図の@)
そして舟を固定してから、タナ取り紛いのことに挑む。
本日持参した竿は9尺竿から15尺竿まで。
毎日、更新してあるこちらのホームページの釣果情報に依ると、今、馬ノ背地区で使用されている最長竿は14尺竿。15尺竿を竿ケースに詰め込んできたのは、念の為だ。
……、
徐に14尺竿を取り出してタナを測る。14尺竿を選択した根拠は何も無い。長い竿から短い竿に替えていく方が効率的に思えただけだ。そしてこの日の為に仕込んできた「タナ取りゴム」なるものを上針に付けて放り込んでみたが、何ということはない。スーッと水中に呑み込まれて終わり。そして次に15尺竿でも同じことを繰り返すが、同じであった。
──困った。
ココで底釣りは無理のようだ。
予想外であった。
何だか梯子を外されたような気分に陥ったが、仕方があるまい。
ココで糸を垂らすのなら宙釣り、底釣りをしたければ移動。
このどちらかに決めなければならなくなった。
別に人生に関わる問題でもないから、どうでもいいと言えばどうでもいいのだが、この鎌の鼻前も初めての場所で捨て難い。
ということで、残念ではあるが底釣りは次回へ廻すことにした。

釣行記写真
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本日入釣場所の、正面図。

釣行記写真
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同、背面図。

◯本日のデータと予定。
・目標/定めず。
・竿 /朱門峰凌.11尺。
・浮子/忠相グラスムクトップ.9番。
・鉤素/450粍+600粍。
・餌 /麩系両団子。
・納竿/定めず。

午前七時半。
底釣りへの未練を払拭できないまま、餌を打ち始める。
三十分も経ったであろうか。減水で着地が可能と成った鎌の鼻に、大口バス釣りの青年四人が降りてきた。
シュルルルルッ、彼らが放つ糸なりの音だ。
──参ったぞ…。
これは計算外だった。
ブツクサと呟いていたら、青年の投げた疑似餌が、オレの浮子の直ぐ近くに着水した。
「悪いんだけど、もう少し遠くに飛ばしてくれないかなあ…」
穏やか調でお願いする、オレ。
「すみませーん」
と言って立ち去ってくれた、青年。
お恥ずかしいのだが、こんな台詞を穏やかに言えるようになるまでには、随分と時間を要した。
人間修行の方も、「日が暮れて道、尚遠し」だ。
……、
閑話休題、釣りに戻る。
浮子はさっぱり動かない。
もしかしたら見当ハズレの場所に舟を結んでしまったのか。そんな疑念が頭を過ったとき、宇藤木辺りに居た方が、ブルーギルに悩まされたらしく引揚げてきた。この方に、この場所の是非を尋ねてみたら、こんな答えが返ってきた。
「ここは澪筋ですが、あまりよい場所とは思えません。魚が回遊してくれば別ですけど…ね」
──やっぱりね…。
それともうひとつ。
近くで糸を垂らしている釣り師の声に、どうも聞き覚えがある。
──誰であったか…?。
ボケた頭の隅々までを探してみたら、思いだした。
そうだ、そうだった。
昨年、石田島の立木に入釣した時に、対岸で沢山釣っていた方ではないか。早速、恐る恐る、
「あのお、去年の今頃にもお会いしませんでしたっけ…?」
と訊いてみると、
「写真を撮っていた方ですよね。気づいていました」だって。

午前九時。
移動を決意。
理由は三つ。
矢張り、底釣りがやりたいこと。
ココで続けても、釣果の見込みが無さそうなこと。
またも鎌の鼻に、大口バス狙いが降りてきそうこと。
──さて、何処へ動こうか。
前述した釣果情報に依ると先週、馬ノ背付近では何度も好釣果が出ている。その場所を探そうではないか。そして、探せだせれば明後日(17日)に、再度来てもいい。
取り敢えず相沢さんに電話をして、底の取れる場所を尋ねると、
「何カ所かあるので探ってみてください」とのことであった。

午前九時半。
「探る」という、上級者っぽい言葉に触発された。
──やってやろうじゃないか!
先ずは、トンネルワンドに向かっての左側から探ってみよう。
意気軒昂であった。
意気揚々と、宝探しにでもいく気分だった。
そして何度も移動を繰り返しながら始めてみたのだが、これはとんでもなく大変なことだと気づかされた。
苦行であった。
一カ所、二カ所、三カ所と舟を移動させ、各所で舟の向きを小刻みにズラして探ってみたが、そのすべてで浮子は水中に吸い込まれた。そして、隣に移動してきた方にも、底の状態を訊いてみたが、18尺でも届かないとのことだった。
(文末掲出の地図のABC)
そうこうしているうちに、十一時が過ぎ、十二時近くになり、段々と焦りも出てきた。
このままでは、時間がなくなる。
そこで今度は、地形が違うであろう一級ポイントの並びに、舟を大きく移動させた。
(文末掲出の地図のD)

正午、
移動してきて舟を結んでいたら、いつもの正午の時報が流れた。
この時報。今日に限っては黙祷を報せる時報だ。
黙祷。
作業中の不細工な格好であったが、黙祷することが出来た。
……、
こんな筈ではなかった。
釣果は別としても今頃は底が取れて、浮子が動いただの、動かないだのと、一喜一憂している筈であった。それが未だ、場所を見つけられずに、彷徨している。
今度こそは、だ。
期待を込めて探ってみたが、またもであった。
もしかしたら、澪筋で底を取るのは不可能ではないか。
これは偏差値の低いオレの頭で考えた推測であるが、あの一級ポイント以外は遠浅ではなく、立木の下が断崖絶壁になっているのではなかろうか…?。
そう考えると、背の内側へ向くしかない。
そう思い、外向きの舟を内向きにひっくり返そうとすると、無情にも、オレに向かって風が吹いてきた。
──今度は、向かい風か。
滅入るしかなかった。
もしかしたら、オレに釣りをさせたくないのではないか。
被害妄想であった。
ここで、今日の経過をよく考えてみたら、オレは朝から一時間半しか釣りをしていない。
もうこの際だから、宙釣りでもよいではないかっ!。
考え直そうとしたが、駄目であった。
そこには意固地になって、断固底に拘っている馬鹿がいたのだ。
仕方がない。
風を背にして、内側に向ける場所へ移動するしかない。
炎天下のもと、最後の移動を決意する。

十三時。
本日の釣果、零。
最後の場所への移動が終わる。
(文末掲出の地図のE)。
ココが駄目ならヤメるつもりであったが、自信はあった。
そして、舟の角度に悩みながらも固定する。
しかし、気力が萎えようとしているし、心も荒みつつあった。
そんな自分を落着かせようと、深呼吸を三度ばかりしてみた。
底が取れますように…。
祈るような気持ちで仕掛けを投げこんでみた。
いくら待っても浮子が立上がってこない。
浅そうだが、底がとれるのかもしれない…。
今日初めて浮子が呑み込まれない場所に辿り着けた。
喜びが走り、今度は一気に七尺くらいにしてみた。
これで浮子が沈めば、念願の底釣りができる。
底が取れてくれっ!。
縋り付くように見つめたが、浮子が立つことはなかった。
ただの浅瀬であったことが判明したのだ。
「くそーっ!、もう、ヤメたっ!、ヤメたっ!」
気持ちが切れた。
その時であった。
誰かが嗤ったような気がした。
誰だっ!、今、嗤ったのはっ!。
心の中で叫んだ。
嗤ったのは、周囲の釣り師か、立木か、はたまた己自身か。
幻聴しか考えられなかった。
いったい今日、オレは何をしていたのだろう…。
情けなくなった。
とても明後日も、やって来る気にはなれなかった。
ココを死に場所として、もう、帰ろう。
道具を仕舞っていたら、どうにか、おちつきが出てきた。
落着きが戻ってくると、このままでは桟橋に戻れないと思った。
こんな荒んだ情けない姿を、相沢さんご夫婦には見せられない。
そんな時、炎天下の朦朧とした頭に、ふと名案が頭に浮かんだ。
──馬ノ背に上陸して写真を撮ろう。
そう思ったが吉日。
舟の舳先を島と化した背に乗りつけた。
……、
上陸して目にした光景は、凄かった。
感動であった。
いろいろな構図が頭に浮かんで、幾枚もシャッターを切った。
釣りをすることも写真を撮ることも楽しいが、釣りでは浮かばないアイデアが写真では次々に浮かんでくる。
適正だと思う。
景色に助けられて、気分がほぐれてきた。
平常心に戻ると、先ほどまでの苦行が雲散霧消した。
そして、これはこれで楽しい一日だったと思えるようになった。
──よかった。
笑顔で桟橋に戻れる。

お仕舞い。

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この日の、馬の背徘徊図。
丸印の順番で移動した。

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馬ノ背、上陸図。
感動の光景。
上手く撮れたので、来年のホームページの表紙に考えている。

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ボートセンターの愛猫、クロ。

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戸面原ギャラリーに並べて頂いているパネル。

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新作のパネル、「初夏の桟橋」。

○本日の釣況。
・07:30〜09:00、11尺天々/0枚、両団子、
・合計 零枚。

○この日の釣果データ。

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戸面原ダムボートセンター、ホームページより。

記事掲載のPDFデータはこちら>>>

○2012年データ。
・釣行回数/6回
・累計釣果/48枚、平均/8.0枚。


2012年09月09日(日) 。
吉右衛門。



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