吉右衛門へら鮒釣り2011

  ◎第五回釣行
06月10日(月)

三島ダム。
ダムサイド、梅の木ロープ(大湾処前)。
ともゑ釣舟店。
曇天時々晴れ、無風。
気温/24度、水温/20度、水色/澄み、減水/4.9m。 

越岡会長を偲んで、
三十二年前ぶりの梅の木ポープ、の巻。

待ちに待った、この日がきた。
ひとり例会の開催日がやってきたのだ。
それは今年の冒頭で記事にした、三二年ぶりの三島湖のことだ。
この釣行を思い立ったのは、あの記事を書いている最中だった。
机に向かってマウス(筆)を進めているうち、埼玉に住んでいた九年間の日々が思いだされ、それまで自分のなかでは別物として扱われていた、あの頃の釣りと再開後の釣りがつながった。そこで得も知れぬ感情に支配され、「ひとり例会でも開催したい」と書いたのだった。
この日を迎えるにあたって、埼玉県狭山市に住まわれている故越岡麦舟会長のご遺族宅へ挨拶に行ってきた。時間にして二時間位であっただろうか、あれやこれやと昔話に花を咲かせ、楽しい時間を過ごすことが出来た。
そして夜も更け辞去する時であった。突然、ご遺族がたくさんの竿を持ち出してきて、どれでもよいから私にくださると言う。
竿は会長が愛用されていたものであった。
私は当然の事ながら辞退したのであるが、もう釣り関係の方が訪れことはあまりなく、遺族の中にも釣りをされる方はいないとも言う。
躊躇いがあった。図々しいとも思った。
しかし、それならば、と選ぶ事なく手近にあったものを、二本だけ頂戴してきた。
自宅に戻り袋からだしてみると出てきたのは、竹竿であった。
会長がよく、「早く連れて行ってもらえる立場になりたい」と言われていたのを思いだした。
私はその希望を叶えることが出来なかったが、この竿を会長の好きだった三島湖へ連れていき、ひとり例会で振ろうと思った。
よい土産が出来た。
今回は会長が竿を出した大湾処の突端と、須田康正さんと興じた梅の木ロープとに舟を結ぶつもりだ。

午前五時三分。
三島湖ともゑ桟橋。
目指すは最果ての地、ダムサイド。
三二年前に竿を出した、大湾処の突端と梅の木ロープだ。
定刻を三分遅れで出航すると、ぱらぱらと滴が落ちてきた。
そう言えばあの日も、こんな天気だった…。
幾重もの雲に覆われた墨色の空を見上げると、こんなことまでもが思いだされてきた。ただの巡り合わせだとは思うが、何かの縁を感じられずにはいられない。
視界に三ツ沢が入ってきた。
先週はここから面舵をきって沢の奥へと進んだが、今朝はこのまま進む。そして鳥小屋ロープ、ポンプロープまでもが見渡せる所まで来ると、定刻に出舟した方々が散開し銘々に舟を結んでいるのが見える。そんな光景を目にしていると、道半ばにして早くも息が切れてきた。よく世間には、体力だけは自信がある、と体力自慢をされる方がいるが、オレはダメ。こうも体力が落ちてきたのかと思うと、情けなくなる。ここは一大奮起して鍛え直さなければどうにもならないだろう。
それとだ。今朝に限ってはどうしても遅刻をしたくなかったが、やらかしてしまった。写真判定だが辿り着けなかったのだ。このように最近はペース配分にも狂いが生じてきているようだから、こちらも、そろそろ段取りを老人モードに組み直す必要があるのかもしれない。
それでも何とか、ダムサイドまで漕いできた。
ひと仕事でも終えたような気分だ。そこで早速、梅の木ロープ付近まで接近してみたが、意外なことにロープと大湾処の突端との間隔が狭い。よくは分からないが、もしかするとロープの位置が当時より岸寄りに移動しているのかもしれない。
今回は冒頭で記したように、大湾処の突端と梅の木ロープで竿を出すつもりだったが、これなら分割の必要はない。
梅の木ロープだけにしようと思った。

釣行記写真
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本日の入釣場所の、正面図。
真正面に堤防があるから、景観はよろしくない。

釣行記写真
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ダムサイドの周辺図と舟の位置。
帰路に堤防側から撮った。

◯本日のデータと予定。
・目標/二十枚。
・竿 /光雲(和竿)、13尺。
・浮子/忠相グラスムクトップ、10番。
・棚 /天々。
・鉤素/450粍+600粍。
・餌 /凄麩250cc+天々100cc+PB100cc+水100cc。
・納竿/十五時。
※餌欄のPB表記は、パウダーベイトヘラの略。

午前六時十一分。
そぼ降る雨のなか、懐かしの梅の木ロープでの釣りが始まった。
目標は三二年前の推定釣果である二十枚だ。
あの日は背後に越岡会長がおられ、このロープに須田康正さんと並んだ。そんなことを思いだしながら周囲を見やると、あちらでポコン、こちらでポコン、と活発なモジリがある。いつもモジリとは無縁の場所で竿を振っているだけに、このような光景を目にするのは何時以来のことだろう。
それに景色も雄大だ。真正面に聳える堤防と大口バス釣りの舟が往来するのは気にいらないが、なかなかの光景だと思う。
それと人生初の竹竿。こちらはやはり工業製品とは違う感触だ。なにやら重量感のようなものが感じられる。
そういえば、会長は魚信に対して力むことなく、スーッと腕を前に延ばすだけだった。それがなんともカッコよく見えたものだ。
そんなことを思いながら餌を打っていると、三十分も経過したであろうか。嬉しいことに浮子の挙動に変化が起きた。そして最初はボチボチだった動きも、すぐに活発になってきた。
しかし、それを仕留められないのは、いつもの通り。
動くのは沈下運動の時だけで、それが終わると動きは止む。
魚は上にいるのだろう…。
そんなことは、シロウトのオレにだったてわかる。
それがわかるのなら、直ぐに竿を短くして勝負をつけたいところだが、そうすると13尺の出番がなくなる。
今日の目標は二十枚。これを達成するのに後続の10尺とで半分ずつ釣りたいから、おいそれと竿を替えることは出来ないのだ。
開始一時間。
空振りの山にイライラするような展開だったが、とうとう魚の口に針を掛ける事が出来た。運が良かったのか悪かったのか、初物は大きな魚であった。それに相撲取りのように太っていた。
しかし、困ったことにこのデブを相手にするには、いかにも竿が頼りない。大袈裟な表現だが竿が「逆Uの字」形に曲がり、穂先などは水中に没しそうだ。
この竿ではとても対応することができないことが分かった。
仕方がない。玉で掬うのを諦め、魚が寄ってきた時にさっと道糸を掴み、やっとの思いで大きな口から針を外した。

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本日の釣果、第一号。
計測は出来なかったが、とても大きな魚だった

竹竿の何たるかを知らずに使ったのはまずかった。
穂先が弾力を失いグニャッとなった。
今季の三島湖は好釣だ。特に下流域で釣れる魚は大きい。それに自分自身、先週、三ツ沢の奥で釣った魚も大きかった。
しかし、それに竹竿が対応できないとは考えてもみなかった。
そんな想像を超えたことだけに今日、持参してきた竿はこの竹の二本だけだ。補欠として常用の工業製品竿を持ってこなかったことを悔やんだが、これは浮気をさせない為に退路を断った措置だから止む終えない。
あとは魚が小振であることを期待するしかない。
小さい魚が釣れますように…。
祈りをこめて餌を入れると、浮子の直ぐ傍でさっきの相撲取りのようなヤツがモジった。
威嚇されたのかと思った。
今度は竿が折られる…。
怯えるものがった。
よく考えてみたら、昔、印旛沼で釣りをしていた時代には、尺を超える魚と対面することは滅多になかったから、これで充分だったのだろう。
それにしても大きな魚より小さな魚がよいなんて、贅沢を言ってはいけない。どのなような名人でも浮子の動きで、魚の大きさを判別することは出来なのだから…。
そう思って一か八か続けていると、ホっ。
この日唯一、玉で掬えた魚が釣れた。

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本日の釣果、第二号。
この日唯一、玉で掬えた魚。
尺の玉よりも、少し大きい。

午前八時半。
13尺に限界がきたようなので、こちらに替えた。
・竿/和光(和竿)、10.1尺。
・浮子/忠相グラスムクトップ、9番。
会長はこの短い竿を使って、印旛沼や新利根川で蒲(がま)の際を狙っていたのではあるまいか。この考えが正しければ魚の大きさは八寸級だったろうから、この竿も今日の壱尺二寸から三寸の魚を相手に持ち堪えることが出来るかどうか。
オレは何という、無謀なことをしているのだろうか。
兎に角、竿に負担を掛けないことだ。
針に掛けたら騙し騙しでも寄せてきて、先ほどの要領で手早く道糸を掴んで処理をしよう。
そう決めて再開すると、棚が適合したのか直ぐに三枚も釣れた。
三十分で三枚の釣果。
これならば昼には達成できるものと喜んでいたが、甘かった。
何が気にいらなくなったか、十時迄では二枚、十一時迄は一枚、とさっぱり釣れなくなった。
しかし、浮子に動きがなくなったわけではない。頻度は少ないがカラツン、カラケシコミなら偶にある。
それならばと、棚、餌の順で変えてみた。
先ずは棚。
・棚/一本半。
浮子を替えるのは面倒だから、位置だけを替えて望むと、直ぐに釣れた。
これはいける…。
ほくそ笑み、浮子も替えて本格的にやってみたら、皮肉なことに釣れなくなった。
次に餌。
・餌/凄麩200cc+天々100cc+PB100cc+水100cc。
当初の配合(450cc:100cc)を、(400cc:100cc)にすると又も釣れたが、後が続かない。
棚やら餌を変え刺激を与えると、律儀に一枚だけは釣れてくれるが、それだけだった。
矢張り、大きな魚を釣るのは厄介だ。
すっかり手詰まりとなった。
そこで、整理して考えてみた。
棚と餌を替えた結果、一枚ずつは釣れたが続かなかった。
もはや棚を浅くすることは出来ないが、餌はまだやれそうだ。
配合を変える前に、やっておきたいことがあった。
指先を濡らして餌をつけてみるのだ。この術を教わったのは、大名人こと山田さんからだった。四年前の夏。桟橋で釣っていた自分の為に態々、舟から下りて教えにきてくださったのだ。
それを不慣れな手つきでやってみると、覿面に効果があった。二十分で二枚が釣れて、光明が見えたような気がした。

釣行記写真
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梅ノ木付近の今昔。(昔)
三二年前に竿を絞る、若かりし頃の私。
当たり前のことだが、当時も減水している。

釣行記写真
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梅ノ木付近の今昔。(現在)
上と同じく、大湾処の突端前の舟から撮ったが、
ロープの位置が以前より接岸しているようだ。

本日ただ今の釣果、十枚。
目標の半分でしかないが、仕掛けを天々に戻した。それは天々の方が好きだからだ。
そこで餌であるが、先ほどの大名人方式に味をしめて、粉と水の割合を(4:1)から(3:1)にしてみた。しかし、さすがにそれでは水分過多でどうにもならない。粘力を二匙加えて補おうとしたが、まだまだだ。それならばと、手近の粉を更にパッパッパと振り掛けてどうにか形にしてみた。
可成り水っぽい餌だが、再開にこぎ着けた。
しかし、四回に一回位は目標地点に届くことなく落ちてしまう。そんな軟弱な餌だが釣れだした。カラツン、カラケシコミも減ったようだ。それに玉を使わず、魚を手繰り寄せる術にも慣れたきた。
そうして順調に釣れ続けた、十四時四五分。
一件落着の瞬間が訪れた。目標の二十枚が達成できたのだ。
釣れた魚は三二年前より遥かに大きかった。目方は確実に倍以上だと思う。しかし、そんなことはどうでもよかった。
文才がないから上手く書けないが、またも得も知れぬ感情に支配され、感激で胸がいっぱいになった。
昨秋に見つけたあの一枚の写真から始まった今回の釣りであったが、無事に大きなイベントを遣り終えた、そんな気分だ。
当日の五人のメンバーのうち三名は鬼籍に入り、今、釣りをしていられるのは私だけだ。
今回の釣りが亡くなられた御三方への供養にでもなればと、勝手に思った。
そして、今日の私の釣りを見ていた彼らからは、こう言われると思った。
オマエ、相変わらず下手だなあ…。

お仕舞い。

釣行記写真
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豚小屋付近の今昔。(昔)
三二年前は岩盤に張られたロープに舟を着けたようだ。
舟は高島屋さん所有。写真の人物は私。

釣行記写真
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豚小屋付近の今昔。(現在)
豚小屋三番升付近で、帰路に撮影。
現在は竹柵が整備され、二本のロープで舟を固定する。

○本日の釣況。
・06:11~08:00、13尺天々/二枚、両団子、
・08:30~10:50、10.1尺天々/六枚、両団子、
・11:00~12:10、10.1尺一本半/二枚、両団子、
・12:30~14:45、10.1尺天々/十枚、両団子、
・合計 二十枚。

○2013年データ。
・釣行回数/五回
・累計釣果/37枚。


2013年07月12日(金) 。
吉右衛門。



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